2018年5月4日金曜日

記憶ってなんだろう

兄猿が、藤棚の下を通ったときに、「これ、日本の匂いだ」と。
確かに甘すぎず、きつすぎず、強すぎず、
それなのにしっかりとした香りがあって日本なのかもしれない
新緑のベルサイユからお便りします。
今日は見事な快晴で、空気も澄んでいること! 晴れた高原のように、真っ直ぐな陽の光です。紫外線要注意ですね。

こちらフランスでは、4月後半に春休みがあり、そのまま、飛び石連休が続く5月を迎えています。ちなみに、フランス語では、「飛び石」ではなく「橋で繋がれた」連休ということで、Pont ポン (橋)と表現されるんですよ。

リラックスするのが上手なチビ猿
そんな休みの間に、久しぶりに本を読みました。
一冊は、ノーベル賞作家となった、カズオ・イシグロ氏の「忘れられた巨人 The Buried Giant」。この本は、「記憶」というものがテーマです。

村の向こうに閉じ込められた鬼が人々の記憶を食べているので、みんな昔のことを忘れてしまって、頭の靄(もや)が掛かったような、そんな状態で暮らしている。平和といえば平和だが・・・・・・という話。

記憶といえば・・・・・・
私のように海外で暮らして長い人は、記憶にある、今はもうない日本を恋しがり、夢見ているところがあるのではないかしら。
そして帰省する度に、変わったところ、変わってないところを指折り数え、変わったところは、かき消された思い出に胸がずきっと痛むことに気づかぬふりをして、新たに頭のコンピューターに上書き保存する。
そうしないと、ある日、完全なる浦島太郎となって、ふるさと日本に馴染めなくなってしまいますからね。
そうなんですが、
でもあるときふっと、遠い昔の記憶の中の日本が蘇るときがある。
そんなときは、今の日本、昔の日本、今の自分、昔の自分、そして今はここにいて、と、それこそ記憶の靄(もや)からポンと出てきてしまったような不思議な感覚に陥ります。
そんなことありませんか?

宮殿へ繋がる大通り。
街路樹が緑の壁のようなのです
記憶って宝物。デジカメで撮った写真のフォルダーを見るとき、もしこれが全部消えてしまったらどうしよう、と不安になります。ずっと、あの瞬間の兄猿、この瞬間ちび猿を覚えていられるかしらって。

イシグロ氏の本では子どもがいたときの記憶を取り戻そうとする老夫婦の旅路を、哀しみたっぷりに描いていて、たとえ幸せなシーンでも涙がに滲んでしまいました。

緑、緑、緑の五月

「記憶」で思い出す小説に、山田太一氏の「異人達との夏」があります。
子どもの頃に亡くなった両親に、大人となった主人公が再会し、一夏だけ、一家団らんの時を持つというファンタジー。
ページを繰る度に、サンマを焼く匂いがしてきそうな、そんな昭和な雰囲気が懐かしく、庶民の暮らしぶりが愛らしく、そして哀しくて、と、そんな小説でしたっけ。

記憶というのは、どうやら哀しみと同意語なのかな。
どんな幸せな記憶も、過ぎてしまっているし、もう二度と戻らないんだものね。


最後にもう一冊、「記憶」で連想した本、ジンジャーツリーについて。
この本は、戦前に日本に生まれ育ったスコットランド人のワインド氏による作品です。

ふとした出会いから、明治時代の日本に住み着くことになったスコットランド人女性の半生を描いています。
著者のワインド氏は、英国兵として出征し、第二の故郷である日本の軍隊に囚われ非情に辛い体験をしています。それでも、日本を切り捨てきれなかったのでしょう、そんなビタースィートな想いが、この小説に反映されています。

小説では、東京暮らしを経たヒロインが、後年、横浜に移ります。ブラフ界隈・・・・・・まさに、子猿たちが通っていたインターナショナルスクールや、私達家族が住んでいた辺りが話に出てきて、その場面が目に浮かぶようでした。
横浜は昔の記憶を上手に残した街造りをしているので、
記憶がぶつ切りなることがなくて好き。
優しい街なんだと思います。

ワイルド氏は、戦後日本を訪れることはなかったそう。
記憶の日本に、今の日本を上書きしたくなかったのでしょう。

横浜といえば氷川丸!
初めに戻ってイシグロ氏。
あるインタビューで、
”小説を書くということは、真実を伝えること。
「事実」ではなく「真実」を、どう伝えるか。”
と話されていました。
そして、今回の小説は、記憶がテーマ。
事実と真実の間に記憶があるのかな、とそんな気がしました。

とにもかくにも、将来も記憶を持ち続けていられるように、これからウォーキングに行ってきます。酸素運動し、脳の活性化させないと!

皆さんも、どうぞ良い週末を!