2017年4月10日月曜日

嫉妬深いフランス人



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こんな季節になりました
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
横浜、東京、京都より、たくさんの桜便りがフェースブック、インスタグラムに飛び込んできていて、フランスに居ながらにしてお花見させて頂いております。感謝!

そんなはんなりの春なのに、ちょっと硬派な文章を書いてみました。
辛口フランス評シリーズ、第何段目でしょうか。
長い、硬い、暗いの三重苦ですので、お時間あるときにでも見て頂ければありがたく。
昔、紋章オタクの夫が作った、我が家の家紋
事の発端は、チビ猿の宿題でした。クラスで国旗について学んだよう。フランスの国旗と言えばトリコロールの三色旗です。そこで、私が知ったかぶりして、
「青が自由、白が平等、赤が博愛でしょ」というと、ウンチク夫が、「否!」という。
これは後付けの俗説でトリコロールの出所は違うらしいです。正しい起源について、ウンチクを聞いたんだけど、既に忘れてしまった……。

でね、「そうか、俗説だったのか」と知って、台所でサラダを洗いながら、「私なら……」と頭の中で遊んでみたのです。
私なら、青が自由、白が博愛、そして赤を平等にすると思う。なぜならフランスの平等は、嫉妬と背中合わせだから。
フランスの平等はひっかき傷だらけ、ドロドロの妬みいっぱいの平等って感じがするんです。
嫉妬深さの例を挙げるならば、今フランスでホットな話題の大統領選があります。5月に決選投票です。
現在のところフィヨン氏(中道右派)、マクロン氏(左寄り)、そしてルペン氏(極右)の3人が有力な候補とされています。ルペン氏は極右なだけにマスコミでもずっと悪者扱いですからね、ちょっと脇に置くことしにて、ここではフィヨン氏とマクロン氏を見ましょう。

でも、まず最初にちょっと脱線して、フランスのメディアはかなり左寄りで社会党(=現与党)影響下にあるということを説明しなくては、ですね。
フランスの主要メディアというと、ルモンド紙、ルフィガロ紙、レゼコー紙、後は各テレビ・チャンネルでしょうか。このどれもが程度に差はあれ左寄りです。このことを知ったときは、それまで「フランスは自由な国、報道の自由が実践されている」と思っていただけにショックでした。
数年前のパリ書籍市のポスターより。
言論の自由、羽ばたく思想って感じでとっても好き。
例えば大統領外遊や教育改革といったフランス関連記事などを、前述の仏主要紙の記事と、ロイターやAFPなどが英語で報道している記事で比較すると、前述の仏メディアが如何に社会党政府に都合のよい伝え方をしているかが分かります。野党バッシングに関しては、小さな疑惑を「○×事件を彷彿させる」と大事件に関連づけて読者の連想を操ったり、ある議員の発言を曲解して解説したり、と、あの手この手。一方、社会党に不利なニュースに関しての報道は至って静かで柔らかな文調だったりするのです。
本題に戻ると、昨今のメディアのフィヨン氏叩きが凄まじいこと! 裏にいるのは現大統領とか……。そして、その内容が民衆の嫉妬心を上手に突いているのです。
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ウンベルトエコーの新刊、ヌメロゼロも、
どうやって民衆を誤解に引導するか、
メディアのノウハウ(?)について書かれてます。
始まりは、フィヨン氏が過去に妻に月々3千ユーロほどの給与を不正に支払っていたと言う疑惑。不正というけれど、その当時は家族を雇用すること自体はフランスでは合法だったのです。政治家の妻だったら、3千ユーロ分くらい夫の仕事をかなり手伝わされるだろうから、いいんじゃないの?と思うのですが、いやいや、大騒ぎです。
 その次に出てきたのが、「フィヨンが支援者からスーツも貰っている! 」というネタです。ここでも、「スーツくらい、いいじゃない。先に進もうよ」と思うのですが、これもマスコミがうるさく騒ぐ。
これが、品行方正で潔癖症なお国柄の中 起きたことなら、「私のモラルがルーズ過ぎるのね」と、醜聞政治に慣れてしまった我が大和魂を恥ずかしく思うのかもしれませんが、ここはフランスです。当たり前のように、偽造失業や偽造定年など違法まがいの裏技を駆使して社会保障手当を受け取っているじゃないですか! 叩いたら国民みんな埃だらけですよ。また、政治に関しても不透明な取引など日常茶飯事です。そんな国なんだから、政治家なんて叩けば埃が出てくることくらい、知ってたでしょう? こんな些末なスキャンダルは素通りして、とにかく、この停滞しきっているフランス経済を盛り立てる人を選ぼう、って思うんだけど……
このメディアによる攻撃が成功し、フィヨン氏の支持率は急降下しました。
春の海、ブルターニュ
これが日本だったら、と考えてみると、この手法ではここまで効果的に政治家を仕留めることできないと思います。どうしてなのか、私なりに分析しました。
思うに、フランス人は、政治家と自分を同じレベルで捉えているのではないか。「私は毎日会社に行って面白くもない仕事して月給2500ユーロなのに、フィヨン妻は大した仕事もせずに3千だなんてずるい」「オレなんて、セールを待って300ユーロはたいて買ったスーツで我慢しているのに、フィヨンはスーツをタダでもらった。ずるい」と、まるで同僚が自分より高い給料貰っている、よいスーツを着ている、という受け止め方をしているのではないでしょうか。
これが日本だと、ある政治家がフィヨンと同じような問題を犯しても、「所詮政治家だ、家族を雇ったり、高級スーツを貰うこともあるだろう。でも汚えよな~」と、もっと距離感もって、そして一瞬ムカッとするだけではないでしょうか。政治家をエライと思っているのではなく、政治家は特別な(色んな意味でね)人がなるもの、自分とは縁がない、別の世界の人、として捉える気がするのです。

フランス人は、カルチャーや教育を通して、かなり徹底的に平等(エガリテ)精神をインプットされています。例えば、金持ちも貧乏人も富の違いはあるけれど、同じ人間だと考えています。宗教の違い、民族の違いなど、色々違いはあるけれど、われわれは同じ人間だ、とここまでは素晴らしいです。本当にその通り。
でも、そのあとに、「だから、オレもアイツと同じように物質的にも社会システム的にも恵まれるべきだ」、と続くのです。エガリテ(平等)は権利だ! アイツが持っているなら、オレにも寄こせ!……そういう乱暴なところがある。その通りなのかもしれないけれど、う~ん、難しい。平等って、何を持ってして平等なのか、と考えさせられます。
一方、日本人はというと、人間みんな平等であるという前提(・・)は知っているけれど、現実では物質的にそして社会的にも差違がある。そして、そういう違いに直面したときは、「アイツは金持ちだから」「あの人は美人だから」「あそこは政治家だから」と心の中で切り離して見るようにしている。違う次元にいる人だから、競う必要はない、と考える。何故なら、平等というイリュージョンに執着すると、不毛な怒りや妬みで自分を消耗させることになる。また、「ずるい」「いいなぁ」と思うことは恥ずかしいと教育されている。
だから、たとえマスコミがフィヨン級(森友級ではないですよ)の粗相を糾弾しても、スルーされる可能性高し、だと思うのです。


前回の大統領選も、サルコジ氏が民衆の嫉妬心を煽ったのが敗因だったと言われています。「サルコジのやつ、移民出身の成り上がりの分際で、金持ちの美人の奥さんをもらって、高慢ちきだ、庶民の気持ちなんて無視して改革を進めやがる」と嫌われ、反動で選ばれたのが現在支持率一桁のオランド大統領です。
米のトランプ当選にも驚きましたが、まだまだ驚くことが続きそうなフランス。先日は、「フィヨンには裏切られたから、ルペンに入れる! 」とまるで男女間の恋愛がごとく嘆いている友達もいたりして、「お願いだから冷静に投票してね」と頼みました。嬉しい驚きがあるとよいのですが、どうなることやら。


以上、辛口フランス便りでした!