2015年12月10日木曜日

ベイキングの想い出

師走に入り、横浜も初冬っぽくなってきました。朝の冷たい空気の気持ちよいこと!
今年は、ずっと温かかったし、雨も多かったから、紅葉はイマイチかと思いきや、どうです、この色!携帯撮りでもこのあざやかさです。

12月は子供の催し物が多く、何かとお菓子を焼いては学校やら教会やらに持って行っています。
最近の子猿たちのお気に入りは、Lemon Drizzle cakeという、焼きたてのパウンドケーキにレモンジュースにお砂糖をたくさんのシロップを染みこませたものです。
学校などのベイクセールで一番の売れっ子は、やはりブラウニーやチョコレートチップクッキーです。

意外と重宝しているのは、この直径15cmほどのケーキ型。パリのHemaという、可愛くて安い雑貨屋さんチェーンで、一つ4ユーロで買いました。
四人家族の我が家にはぴったりの大きさ。これだと食べ切ってくれます。
おやつならこれ一つ、気取ったケーキにするときには、これでスポンジを焼いて、重ねればいいし。
ベイクセールなどでも、この大きさだと、複数のフレーバーを作れるし、ママチャリのかごに入れて持っていくのにも良い大きさです。

ベイキング、久しぶりですが、こうしてお菓子を焼いていると、懐かしい気持ちになりますね。
オーブンで台所が暖まり、家中に砂糖とバターの匂いが漂う。
子供の頃の幸せな時代に戻ったような錯覚に、心地よく陥ることができる。

あれは小6だったかな。うちにはオーブンがなくて、そんなある時、オーブントースターでお菓子を作る、という小冊子を見つけ、これならうちにもある!と喜び勇んで、やたらにクッキーを作っていたことがあります。

アイスボックスクッキーというのを知り、渦巻き状のクッキーを作ったり、
今でも持っている、「ピーターラビットのお料理絵本」という、それはそれはかわいい本なのですが、レシピは超いい加減というのがあって、そうとは知らずに「ピーターラビットが大好きなにんじんクッキー」というのを作ったら、オーブントースター中に生地が広がってしまったこともありました。
ちなみに、「くまのぷーさんのお料理絵本」も同様で、装丁、挿絵はかわいくてたまらないのですが、レシピは検証されていないこと確実。はちみつパンは、どうやっても、もちっぽさのないすあまみたいなものにしかなりませんでしたっけ。

あの頃は、家が諸事情からバタバタ、ざわざわする、安定から不安定へのファースト・ステージでした。加えて、私自身も「いざ、中学生!」という、精神的にもざわざわ期に入るころ。

今思えば、バターの焦げる匂いに、砂糖の甘い匂いに、「私は今も幸せ」だと自分に言い聞かせたかったのかな、なんて思います。

狭苦しい居間にオーブントースターを持ち出して、家族にうるさい!と文句を言われながらも、夜中近くまで、クッキーを焼いて、タッパーに入れ、翌日学校で友達とこっそり、先生にバレないよう食べる。
渦巻きクッキーは、捏ねすぎたのか、石のように堅かったり、また、オーブントースターですから、やたら高温。よって焦げたのもたくさんあったけれど、恥ずかしいから、焦げたのは自分で食べるという、幸せの構図からかなりかけ離れたクッキー作りだったのですが!

そして、今思えば、いや今だから思えるのは、そんな一寸した不幸があって良かった、ということ。こんな惨めくさい想い出があるのもいいじゃない? って、思うのです。


オーブンからケーキを取り出し、端っこが焦げているのを見ると、ピーターラビットの絵本が大好きだった頃や、固太りでランドセルが似合わなかった、幼い頃の自分を思い出します。

子猿たちの学校が冬休みに入ったら、一緒にクリスマスクッキーでも作ろうかな。

皆様、風邪の季節ですから、どうぞご自愛くださいね!
また行きます!!!









2015年11月28日土曜日

変わりつつあるフランス


パリ在住の頑張り屋さんの友人が、こんな素敵な3Dカードを作りました。
メッセージは、「立ち上がれ、パリ!」作り方、ダウンロード(無料)はこちらのリンクより。
写真のはby兄猿。ちょっと手を加えたよう)

パリでのテロから二週間経ち、一昨日は政府による追悼式典があったそうですね。


13日以降、たくさんの方々より、義理の家族や友・知人らの安否を気遣ってご連絡頂き、ありがとうございました。幸い、私の周囲で直接的に巻き添えになった人はいませんでした。どうかこの先、三度市民が犠牲になるような惨劇が起こらないように、と強く強く祈っています。

フランスを発った昨年まで、そしてそのあとも、メディアなどから感じるのは、フランスは着実に変わりつつある、大げさに言えば、大きなうねりの中にいるんだな、ということです。

フランス歴が浅く、勉強もしたことない私が何を言うか! と思われるでしょう。でも痛切にそう感じるので、無責任にシェアさせてもらいます。


私がフランスに住み始めたのは、2000年のこと。当時学生だったこともあるでしょうが、それまで住んでいたNYやそのあとに住むロンドンとそんなに違いを認識することなく、思想的傾向を感じませんでした。日本ともそう変わらない、思ったことを自由に言える雰囲気でした。

それから9.11があって、イスラム教に対する注目が高まり、何年後には、公共の場において、顔を隠すタイプのベールや十字架を身に着けることが禁止されるようになり、ライシテ(元の意味はおいておいて、今では政教分離)という言葉を耳にすることが増えました。

そして、2012年に社会党が政権を握る。

このころになると、ライシテが宗教的中立から、宗教色排除という意味合いを強め、ターゲットだろうイスラム教色とともに、フランス文化の基であったカトリック教が否定されていく。元々の宗教離れに拍車かかって空っぽになりつつある倫理・価値観を埋めるべく、代わりに、「共和国精神」が押し出されてきた気がします。

キリスト教では幼児洗礼というのがありますが、今は、わが子に対し、共和国洗礼(Bapteme civil)というのをする人もいると聞きました。果たして共和政というのは信仰の対象なのか

共和国精神って何かというと、フランスにおいては、エガリテ(平等)のことなんだと思います。で、平等というのは、権利の主張なのだと思います。

その一つ、同性愛者達の権利を、更に認めようという動きが活発化しました。同性愛者が結婚して子供を持てないのは不平等だという。

私が「?!」と思ったのは、政府の対応でした。反対派の動きが大きな社会現象となっていたのに、その意見を聞くことなく、「反対派=ホモ・フォービア(同性愛者を否定する人)だ」とレッテルを貼り、「マイノリティーの権利を拒否する悪者」扱いでした。反対派には同性愛者もいたし、もっと違う次元での反対運動だったと理解していたので、政府の扱いは横暴に感じましたっけ。

そして、今では、気の置けない仲間うちでも、誰かが「同性カップルが代理母とか見知らぬ精子を使って子供を作るのはどうかなぁ、と思う」などとぽろっと言うと、「シッ、それ、大きな声では言っちゃだめよ。ホモ・フォービアだって非難されるから」とひそひそ声になります。
……いつから思ったことを声に出してはいけない社会になったのでしょう。
 
同性愛の話に戻ると、今では、小学校や図書館には、同性愛者や性的マイノリティーが主人公の絵本がおいてあります。また性差なき認識を幼い時から身につけさせようと、小学校からジェンダー教育をすることにしました。
性のことって、よほどデリケートに話さないと、グロテスクだったり、混乱させてしまうだろうに、大丈夫なのかしら。

「性」がアンバランスなほどに強調されている昨今のように感じます。

もう貴方のことは語られないようですよ
教育に関しては、中高でも来年から改革があり、こちらも「エガリテ」が発端です。
フランスは階層社会。それが故に教育格差があり、それをなくそう、ということらしい。
色々論争を引き起こしているこの教育改革、学ぶ分量を軽減しよう、ということなのでしょうか、歴史に関しては中世はあまり触れず、革命(18世紀の)以降に重点を置くらしい。ここでも宗教が中心だった時代は飛ばして、「共和国」精神に焦点ということかな。

この教育改革は全体的に、「子供の教育は国がするから、家庭は黙ってて」、という風に感じないこともない。社会が個人を面倒見るというのが社会主義、ってか。そもそも、社会党の中枢にいる人たちは、そのサークル内で「自由」に恋愛・別れを繰り返していて、家庭・家族という概念を持っていなさそう。

今のフランスは、社会主義のイデオロギーを国民に押し付けていて、それに賛同できない人は、以前ほど自由に思ったことが言えない気がするのです。以前の政権までは、左寄りの人も、そうでない人も、好き勝手発言できたと思う。

そこに、不景気が深刻化している。現政権になってから失業率は10%超となっています。
プラス、テロの恐怖。この度のテロのあと、前回同様、フランソワ・オランド大統領の支持率が上がった(22→32%)そうですが、フランスが変な方向に引っ張られないといいな、と願っています。テロ襲撃後のオランド大統領の演説に9.11後のブッシュ前大統領を重ねた人は私だけではないはず。

まとめますと、
現代フランスの、錯綜していた思考・志向・嗜好が、オランド大統領以来、見えない引力により、怪しくまとまりつつあって、気づくと、2010年までのフランスと、2020年のフランスは違う国となっていそう、そんな気がするのです。どうか、そんなことがありませぬよう……。

2015年11月4日水曜日

パラドックスの国

船から見た黒部湖
皆様、お元気でしょうか。

もう「ご無沙汰です」が枕詞になりそうな、最近のエトランゼ・ブログ。更新頻度が落ちています。

これって老化の一つなのか、それとも子育て佳境の忙しさが理由なのか、ブログを書くだけの集中力と時間が中々持てずにいます。

また、スマホとフェースブックのタイアップというのも理由の一つというのはあるでしょう。
何か感動した場面を、スマホでカシャッと撮り、旬の気持ちを友達に伝えたいからって、その場でフェースブックにアップロードすると、自己発信が完了してしまい、あとで、あのときに気持ちをブログにて文章で表そう、という必要性が失せてしまうのです。

それでも、フェースブックにはフィットしない「あのときの気持ち」というのは、ポロッポロッと転がっていて、今日はそれらから、明るい気持ちになるものを一つ、と思っていたのですが、ちょっとネガティブなものを選んでしまいました。
もう一度!今度はダムから見た黒部湖
愛読誌の一つ、英「Economist」誌に、「消えつつある日本の仏寺」という小さな記事が目に留まりました。何やら、推計によると2040年までに、現在7万7000ある寺のうち40%が廃寺となってしまうだろうということです。

この記事を読んで、最近うっすらと思っていたことを再度思い起こしました。

一つは、日本の教育は短所も多いけれど、私の時代の地理や歴史教育は悪くなかった、と思ったこと。小学校から世界の地理や歴史に触れ始め、高校では世界史も選択できる。

先進国では皆こんな感じで世界を学んでいると思っていたけれど、どうやら違うらしいですね?

私同様アラフィフの夫曰く、少なくとも彼の時代、フランスでは世界史など丸っきり学ばなかったそうです。遠いアジアの中国の歴史などは、大学で興味があれば専攻して学ぶことができるけれど、中高ではタッチすらしなかったらしい。
道理で、日本が香港の中にあって、という恐ろしい理解をしている人に遭遇したりするわけで。

アメリカや中国などの大国もきっと似たようなものでしょう。

夫や外国の友達と話していて、ある文明や遠い小国についての話になったとき、うっすら(この、何でも「うっすら」というのが我ながら残念なんですが!)と分かり話についていけるのは、この学校での教育のお陰。
メソポタミアでも、殷朝のことでも、ロマノフ家の話でも「うっすら」とは分かる。
この点では、日本の文化度は意外と高いんだな、と思ったのです。
しつこくもう一度。圧倒的な黒部湖でした。
二つ目は、日本人って好奇心が旺盛ですよね! 新しい食べ物、新しい芸術、ファッション、何でも興味津々。美術館に行けばルーブルやオルセーでは見られない混雑だし。世界のニュースにもアンテナ張っている。ここでも文化度高いな、と感心すべきなのですが、何だか享楽的な感じもする。「知りたい知りたい」と無遠慮な感じがするというか。でも、とにかく好奇心旺盛です、日本人。

でも、です。
これだけ、世界の歴史、文明に理解があって、興味もある。それなのに、知恵深い賢者という感じはしない。自分と直接関係がなさそうな国での悲劇には薄情だし。

日本にて働く友人が、会社でネバールだか、どこかの災害への募金を募ったら、全額で二千円程度しか集まらなかったとショックを受けていました

東北震災のときはさすがに動いたけれど、たとえ国内での災害でも、そんなに助けよう!という気概はない。

近所のセブンイレブンで、この秋の水害被災者への献金が「千八百何とか円でした、ご協力ありがとうございました!」と貼り紙してあるの見て、愕然としました。

教会できっと余り裕福ではないだろうフィリピン人たちが、献金のかごにお札を入れているのを見る度に、昔、ロンドンの教会で「入れなくてもいいんでしょ?」とささやきつつ献金かごをスルーしていた日本人観光客を思い出します。

そして、こんな記事をBlogosというサイトで見つけてしまいました。タイトルは世界で最も他人に冷たい先進国、日本」。世界寄付指数というものに関する記事です。(11月11日追記)
こちらは蓼科
そしで初めに戻ると、寺がなくなっているという話も、やっぱりねぇ、と思いました。

日本は、神々を信じる信心深い国、というのを時折聞きますが、ホント?ってかねがね疑問に思っているので、びっくりするというよりは、やっぱりねぇ、だったのです。

先日、夫と近くの公園に散歩に行ったとき、教会でよく見ける初老の外国人より話しかけられました。自然と話は教会のことになり、すると、その近くにいらした日本人の初老と呼ぶには早いけれど、お孫さんの話をされたから、まぁ初老の方が話に加わってきて、「僕の孫はその教会の幼稚園に通ってます」ということでした。それで、初老外国人の方が、「貴方もカトリックですか」と聞くと、「ノーノー、アイ アム ブッディスト」と応えられる。

それを聞きながら、心の中で「「ほんとう~?本当に仏教を信仰してますか?そう思っているだけで、本当は仏教のことあまり知らなかったりしませんか?」と疑っていました。
仏教の教義、すぐに言える人って日本の人口の何割でしょう。悟りを開く、と言うほかに、それが何を意味するかとか、整頓して理解している人、少ないのでは。

このオジサンのように、面と向かって「信仰は」と聞かれれば、慌てて「ぶ、仏教です」とか「し、神道です」と応える人、多いと思うけれど、深く理解も、ましてや信仰なんてしていない。
そもそも、心底困ったときや、混乱して何か落ち着きたいとき、救いを求めたいとき、お寺や神社に行こう、って思いつく人、少ないような気がする。

フランスも宗教離れが加速していますが、宗教の教えは日本の仏教・神道よりは浸透していると思う。キリスト教に関して言えば、日曜学校などで子供の頃から宗教教育を受けている人は結構いるし、ミサに行くのはイースターとクリスマスだけの人でも、教会の存在を頭の片隅に入れている人の数は、未だに人口の大きなひとかたまりとして残っていると思います。ちなみに、フランスは約10万の教会があり、うち閉じる・壊す危機にあるのは、300前後のようですから、日本のお寺よりずっとマシな状況です。



……と徒然に書きましたが、少しまとめると、日本には逆説が沢山あるなぁ、というのが最近よく思うことなのです。例えば、

・ 日本は仏教大国と言うことになっているけれど、寺院の数も世界でも桁違いに多いらしいけれど、仏教も神道も人の心の中では希薄。

・ 海外に対する知識・興味は高いけれど、Empathy(共感、感情移入)は薄く、「グローバル・シチズン世界市民」的な姿勢は伺えない

・ 勤勉なのも本当だけど、享楽的(……明日の、未来の活力を生むために今日を楽しもう、皆で楽しもう、というよりは、「今だけでも楽しもう」「もう人のことは知らんわ、楽しませて貰いまひょ」みたいな開き直った感じがする。)

・ 礼節を重んじ、自制的な国民性ではあるけれど、その出所は、必ずしや宗教や高い倫理観から来るものではない。(社会の縛り、義理、建前…)

・ 団体行動型だけど、自主的、献身的に協調し、そうしているのではない。(しょうがないからやる、浮かない程度に協力する)

……なんて、もちろん、十把一絡げに言ってるだけで、個人ベースでは「感動の人格」に囲まれている幸せ者のワタクシです。
ニュースやふと見かけた街角の光景などから感じた、批判すべき日本、を書いてみただけで、肯定すべき日本も沢山体験していますので、ご安心を~!



ネガティブなことばかり書いてしまったので、先月訪れた長野で撮った紅葉の写真を散りばめておきました。

それはそれはきれいな景色ばかりで、清少納言シリーズ(といって分かる方はエトランゼ・オタク)でいくと、
「日本は自然」。
日本の美しさは、文化でも人でも、寺でもない。自然にあると確信した旅でした。
どうか、いつまでも「山河あり」の日本でありますように。

どうぞよい一週間を~。

2015年10月7日水曜日

難民問題にみる希望

今年は金木犀が良く咲きました。
皆様、大変ご無沙汰をしております。
お変わりはありませんか。

ふと気付くと9月は一度もブログをアップロードすることなく過ぎてしまいました。こんなことはエトランゼ・ブログを始めて以来初めて。本も余り読むこともなく、インプットもアウトプットもする気が起きませんでした。


理由の一つは、灼熱の夏を越え、気が抜けたこと。

もう一つは、たぶん、インターナショナルスクールの5年生、3年生に進級した子猿たちの「教育」に忙しくて、落ち着いて文章を読んだり書いたりする心境になれないというのがある……
兄猿は要領だけよくなってきて、相変わらずいい加減。ちび猿は、集中力というものが完全欠如しているし。ガミガミ母猿なのです。
最近のちび猿

そんな中、気持ちの大きく振り子が振れたのはシリア難民のニュース。
難民に対する同情や、テロ、戦争という非情もそうですが、
難民が欧州に流れ込むことに対するドイツの対応に感動しました。


(エコノミスト誌)
難民を救えないようなヨーロッパは、私たちが望むヨーロッパではない。
メルケル首相の言葉で、他の欧州の国々も難民を迎えようという気運に変わっていったように感じました。この利己主義で、拝金主義の世の中において、ね。

私はペシミスト過ぎるのでしょうか。
当初、難民が海に40人溺れた、今日は30人、今度はトラックに70人死んでた、というニュースが流れても、きっと私を含む世の中は見捨て続けるんだろうな、宗教団体やヒューマニスト団体は助けようとするけれど、国家や一般の人は経済脆弱、テロ怖さを理由に知らん顔するんだろうな、と思っていました。
難民排斥運動というニュースには、何故か羅生門を思い出し、あの頃から進化してない人・社会に生きているんだな、と寒々し、
このしわ寄せは、子猿たちの時代にやってくる。見捨てられ、それでも生き残った難民たちはまともな教育を受けられなかったから、理論が通じない残虐な人間となり…
と今を、未来を、憂うばかりでした。

それが、メルケル首相やフランシス法王、SNS上での個人の発言に引っ張られ、今では、世界中で難民を受け入れよう、迎え入れよう! と言っている。
ドイツでは、難民バスが通ると、スーパーのオーナーが店のものを全部上げたので店じまいします、と言ったとか。また、難民が到着すると市民がチョコレートを配ってあげているとか、そんな心がポッと温かくなるニュースを見かけるようになりました。

当たり前のことなのですが、当たり前の優しさを期待できない今日この頃。
奇跡みたい、と一人感動しています。

こんな私も、自分と、自分が属する社会をもっと高めるようと小さな努力をしながら生きているつもりではある。
だけど、世界は反対の方向に進んでいて、ますます矮小で冷酷になっているような気がする。
そして、自分もその価値観に流されそう、と危惧している日々。
そんなところに、何というサプライズ!って感じです。
ひねくれずに頑張ろう、真摯に頑張ろう、と思わされます。

最後に、アメリカに住む姉がお友達が作った動画をアップしていたのでシェアします。
40年前に「ボートピープル」と呼ばれたベトナム難民。
私の世代ならよく聞いた言葉です。
その難民たちが今やりっぱな大人になり、船で渡ったときの様子と、今のシリア難民と共有する感情を語る動画です。3分ちょいですので、観て見てください。音声なしでも、字幕があるから分かると思う。
https://www.facebook.com/ajplusenglish/videos/625933660881478/?pnref=story

この人たちのように、難民たちも新しい土地で新しい人生を得られることを祈るばかり。
私レベルで何かできることはないかな~。(ベイクセールかなぁ?)


@横須賀、観音崎
今夕も子供のお尻たたき(体罰という意味ではありませんよ~)で忙しくなりそうですが、もう少し頻繁にブログ書きたいと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

PS
もう一つ、感動した関連記事、追加しておきます。

2015年8月28日金曜日

瞑想時間

ご無沙汰しております。
午前10時、気温は23℃の横浜です。
暦はまだ8月なのに……。今週から劇的に涼しくなりました。まるでパリのような、夏から秋への様変わりようです。

今朝は余りに涼しいので、近くの公園にウォーキングに行ってきました。
散歩より少し早足に、腕もしっかり振って、ひたすら歩く。

いつもは夕方に歩いています。
7月よりいつの間にか日課になっていました。
最初は夫と2,3周、それが彼が仕事で遅いときが続き、一人で歩くようになりました。
それでも、夫が仕事で早いときは、時々一緒に歩きます。
また、気まぐれな子猿たちが、時折一緒に走ります。
でも、そうじゃないときは一人。
公園内をぐるぐる10周歩く。

音楽も聴かない。
鼻歌は時々。
「飽きない?」
「全然!」
百日紅って本当に100日間、咲くのかな。
7月以来、いつも私のウォーキング・タイムに色を添えてくれて、
感謝!

最初の一周は、唯々、気持ちいい。
新鮮な空気が美味しくて、クーラーで冷えた身体に夕風が心地よくて、公園の緑が美しくて、
唯々気持ちいい。

二周目辺りから、公園の静寂さに気づく。
風の音や蝉しぐれしか聞こえない。
一日中、子猿たちのおしゃべりやケンカがBGMでしたから、この静かさが染みいります。
何というのでしょう、脳みそがストレッチを始めている、そんな感覚です。

三周目辺りから、徐々に瞑想に入っていく。色んな方向に考えが飛びます。

木陰に入り、秋の匂いがする風が吹けば、何故か、昔聞いた、松山千春の歌が思い出されます。
この歌、同年代の方は分かるかな?
季節の中で♪
うつむきかけた貴方の前を
静かに時は流れ
めぐるめぐる季節の中で
貴方は何を見つけるだろう

この歌に出てくる「貴方」のように、多感だった頃を思い出します。
時は本当に流れて往きました。


また、木々の葉っぱを揺らすような風が吹くと、この季節に亡くなった友達のことを思い出し、「元気?そっちはどう?」なんていう会話を心の中で勝手にしたり。



夏草の匂いが風に乗ってくると、突然、ノスタルジックな気持ちになります。
子供の頃を思い出しているのだと思うけれど、具体的な想い出は浮かばない。
唯々、とてつもなく懐かしい気持ちになる。


公園は軽い勾配があり、高いところからいざ下り坂に入るとき、視線を少し上げると、神々しいまでに美しい夕焼けが見える時もあります。こんなときは、唯々、心が満ちてきます。


時間にすれば40分ほどのウォーキングタイム。
この40分の間に、私のSoulは自由自在に旅する。

今では、この夕方の40分が楽しみで、この時間を確保すべく、午前中から段取っている感あり。
そういう意味でも生活にメリハリをもたらしてくれています。

子猿たちは今週から新学期スタートしています。兄猿はインターナショナルスクール初等部最終学年の5年生、チビ猿は3年生になりました。

「ぼか一番好きのは、ホームランチを食べるとき」
なんて言われた日にゃ、作るしかないよね、母猿としては!
軽井沢で見つけた曲げわっぱにぞっこん♡な今。
大人も新学期、私もちょっと新しい試みをしてみようかな、と思っています。

皆さんは、この秋、何か計画してますか?

2015年8月7日金曜日

私の夏

皆様、お暑うございます。
いかがお過ごしでしょう。
この夏は余りの暑さに頭がショート気味ではありますが、それでも「いい夏」です。

私が清少納言だったら、「春はあけぼの」の前に、「日本は夏」と始めたい。
この夏を体感してこそ、日本が分かると思うのです。
この暑さを乗り越えた後に来る秋、そして冬、という季節の移り変わりは、夏を過ごしてこそ深みを持って感性に訴えるんだと思う。

さて、6月上旬(そうですよ~、インターナショナルスクールは6月に修了なのです)に始まった、我が家の長~い夏休みをフォトログでお伝えします。

西表島、ほんとにきれいな島でした
ネス湖に似てた、山中湖
夫は新しいカメラで色々試しているようです
富士山!
余りにきれいなので、登ってみることにしたのですが、
それがきつかった!
山下公園の花火、豪華だったこと!
自転車の夏だったね
地元のお祭りにも仲間入りさせていただきました
憧れの軽井沢にもお邪魔しました。
苔が敷き詰められた森、輝いてました
青々とした紅葉もいいよね
三笠ホテル
横浜の洋館といい、当時の日本の西洋文化に対する

とてつもない憧憬が感じられます。
軽井沢から帰ってきた昨日、庭のぼうぼうに生えている夏草に映る日射しが変わっていることに気づきました。
たった2日留守にしていただけなのに、草も影も急に伸びていて、ふと空を見ると、青さが深くなっている。風も心なし軽くなってたし、と思って暦を見たら、明日は立秋とのこと。

はて、立秋とはなんぞや。
何やら、太陽が135°の角度になる日らしいです。
暦上は秋スタート!ということなのですが、35℃超えの毎日では中々その気になれない?

この夏は、夕暮れ時にウォーキングを始めたのですが、
昨夕、いつもの時間にスタートしたら歩き終わる頃にはすっかり夜空でした。
こんなに日の長さが変わる国でしたっけ、日本。
それとも、年を重ね、残り時間が半分以下になってくると、人間、時の経過に敏感になるのでしょうか。
日本もサマータイム制度を取り入れたらいいのに……
8月は悲しい記念日が続きますね。
そんなことも、日本の夏が強烈で美しい由縁なのかも?

チビ猿がキャンプで覚えてきた歌のサビは、
「がんがん生きてやる」

「がんがん♪」 
青い空の下で 君に出会えたこと 
これは とってもすごいことなんだ でっかいことなんだ 
風に流れる雲を 一緒に見ていたこと 
これは とってもすごいことなんだ 絶対忘れない 
だから 躓いて すっ転んで  
独りぼっち寂しくて 涙ぽろぽろでも 
大丈夫 頑張れる がんがん 生きてやる 

夏の夜空の下で 皆で歌を歌った 

これは とってもすごいことなんだ でっかいことなんだ 
広い大地の上で 皆でご飯を食べた 
これは とってもすごいことなんだ 絶対忘れない 
だから 躓いて すっ転んで 
独りぼっち寂しくて 涙ぽろぽろでも 
大丈夫 頑張れる がんがん 生きてやる 

チビ猿の調子っぱずれな歌声に、何だかぐっと来るあたり、
私の中ではセンチメンタルな秋スタート、なのかもしれません。
ほんと、がんがん生きてね、何があっても。

クーラー「がんがん」の部屋でそんなことを考えました。

さて、明日から残暑、これがくせ者ですよね、日本の夏。
どうぞお身体を大切にされますよう。

また行きま~す!




2015年7月30日木曜日

本のマーケティングについて




皆様、お暑い日が続きますねぇ。いかがお過ごしでしょうか。
夏ばて、熱中症にどうぞお気を付け下さいね。

こちらは相変わらず子猿たちの夏休みにどっぷり付き合っています。
そんな中、先週・今週は朝毎日スイミング教室に放り込んだので、少しだけ自分時間を持つことができ、久しぶりに、下手な横好き、創作小説書きに取り組んでいます。

私が「小説家になりたい!」という壮大な夢を持つに至ったきっかけについてはお話しましたっけ。
それは、私のサザン好きに繋がっています。

サザンの活動休止のニュースが流れたのは、2008年のこと。7年前のことです。当時はカタールに住んでいました。
このニュースに、「そういや学生の頃はコンサートに行ったよなぁ」と思い出し、ユーチューブを開いてみて、色々と動画を見て、再度大ファンになったのです

そのあと、サザン関連のものは何でも知りたい、とサーチしてみると、何やらメンバーたちの著書もあるらしい。その中で入手できたのが、ハラ坊の「娘心にブルースを」というエッセーでした。一時帰国で帰ったパリのブックオフで買いましたっけ。

娘心……は、フツーな、どこにでもいる女の子だったハラ坊の話です。文章も難しくない。美しい文章でない。取り立てて学ぶこともなかったと思う。でも、そんなフツーな話でも、読んだ後、気持ちもぽかぽかするし、ポジティブなものをもたらしてくれていました。

その頃は本といえば、完成度高いものを読んでいただけに、「こういう本もアリなんだ」という、変な感動がありました。当時カタールでは、新書は異常に高く、手軽に入手できる本はシェークスピアやらドストエフスキーなどのクラシックでしたからね。

また当時は、姉に誘われて共同ブログを書きめ、それがとても楽しかったので、気づくと創作小説を書き始めていた時期に重なります。この処女小説は、誰かに読んでもらおう、出版しよう、などとは思っていませんでした。取りあえず書いてみて、上手く書けたらブログに載せてもいいし、載せなくてもいいし、ととにかく深く考えていませんでした。

でも、ハラ坊の本を読んだとき、ふと思ったのです。
私がハラ坊の本を読んで、小さな憩いの時間を持ったように、小さな幸せを感じたように、私の素朴な創作小説も、どこかの誰かの心をちょっとだけ温かくすることがあるかも、って。

もちろん、この本が存在するのは、ハラ坊が著名人なこと、というのがキードライブなのは明瞭なこと。たとえ私が同じクオリティーの本を書いても誰も手に取らないでしょう。

でも、未来は今までとは違うのでは?とも思ったのです。
インターネットや新技術でもっとパーソナライズされたマーケティングが可能になって来ている今、、今後、超ニッチ、超微小なるマーケットにも、求められているモノ・サービスを供給できるになるのではないか。

例えば、「本読みたいけれど、何読んでいいか分からない。しょうがないから、昔読んだことある林真理子でも観てみるか」というのが私の周りでよく聞くケースだったのですが、
そういう人たちのニーズを分析して、その中で、私の小説を好きそうな人を探しだし、メールなり、広告なりで私の本という存在を知らせることができるように、そのうちなるのではないか。
と、考えて、大胆にも小説家を夢みるようになったのです。

サザンのおかげでユーチューブを知り、姉のおかげでブログを書くようになり、その後フェースブックもツィッターもやるようになり、自らSNSを主催するようにもなり、と、文明の利器、いやコミュニケーションの利器を色々楽しむようになりました。それらを楽しみながら、どうやったら、この「特定のセグメントに到達する」ことができるか、を頭の片隅で考えてきました。

電子書籍が未来の道、と思って、自分でも電子書籍を読んでみたけれど、どうも違う。
まぁ、またカタールのようなところに住み、もうどうしようもなければ電子ブックで小説を読むこともあるだろうけれど、リラックスタイムにはやっぱり紙の本がしっくりきます。

また、電子書籍の市場を見ると、ハウツー本と漫画が主流のようですね。実際のところ、売れているのでしょうか。 
ご存じの方いらっしゃったら是非教えて下さいませ。

現代のマーケティングを知りたいのなら、「SEO対策」がキー、と言われ、その分野を覗いてみたこともあります。
……でも、「何となく、小説でも読みたいけど…」という気分の時って、「よし、サーチするか!」とキーワードを入れてあれでもない、これでもない、って行動を起こす人は少ないよね?
もっと受け身で本との出会いを待っている、そんな感じじゃない?
みんな毎日の生活に忙しくて、自分の小さな欲求のためにサーチするような時間も体力もないもんね。
そもそもキーワードって何よ。「癒やし」? 「人生」? 創作小説よりも、占いサイトにヒットしそうですよね。

作者である私自身が有名になり、私に興味を持って貰って、本を読んで貰う、というのはどうか、と思ったこともありますが、
そもそもそう簡単に有名になんてなれるものじゃない。
そして私、目立つことに抵抗があります。
また、エッセーではなく、創作小説を読んで貰いたいと思っているのに、作者が前に出てしまうのも、読者のイマジネーションの邪魔になると思うし。

文学賞を取る、というのが一番確実?
以前だったら、私のような無名の物書きが世に出るには、これしか手段がないでしょう、ってことでしょうが、今の時代はもっと進化しているはず。
巧妙にマーケティングできれば、
ニッチなニーズをつかむことができれば、
たとえ文学賞に当選するレベルの小説でなくても、、読者が求めているものにドンピシャリであれば、それは十分良質の出会いだと思うのです。

どうやったら、「おとなの人で、まるでマイストーリーのような、共鳴できる小さなドラマを読みたい」と思っている人たちにアピールできるのだろう。答が見えそうでいて、でも見えない。

何かよいアイデアありませんか? 
ご興味ある方、一緒に本のマーケティングについてスタディグループを作りませんか?












2015年7月15日水曜日

インターナショナルスクール便り⑤ これでいいのか、と思うところ

みなさま、暑中お見舞い申し上げます。

日本の学校は今週末より夏休みですが、わが子猿たちが夏休みに突入してから既に1カ月が経っています。

子猿が通うインターナショナルスクールの夏休みは、6月上旬から8月下旬まで、実に2カ月半です。日本の学校は40日、横浜市の小学校は30日らしいですから、それに比べると、やたら長いです。

フランスの学校も似たようなもので、7月頭から8月末までほぼ2カ月夏休み。
バカンスの国フランスでも、大人は2カ月休みを取ることはできず、さらに多くが共稼ぎ家庭ですので、長い夏休みの間、行政や各社が主催するキャンプ・合宿や、田舎に住む祖父母の元に子供を送り込んだりしているケースをよくみていました。7月8月はパリから子供が消える理由です。
在フランス邦人の多くは、7月頭に日本に帰り、子供を地元の幼稚園・小学校に2週間ほど「体験入学」をさせているのかな。私もそのようにした年もありました。

インターナショナルスクールのクラスメートで、海外から来ている人はほぼ全員、本国にて夏休みを過ごしているようです。日本の暑い夏が人気薄いの、分かる気はしますよね。

わが家は、と言うと、フランスに帰省せず、体験入学もさせず、
自家製サマースクール・ア・ラ・ジャポネーズを体験させることにしました。
すなわち習い事攻撃です。
日本人の先生のお教室に行くことで、日本語と習い事の習得の「一石二鳥」を狙い(二兎を追う者は一兎をも得ず、というのもありますね、はい……)、また、常々感じていたインターナショナルスクールに欠けているところを、せめて夏休みの間に補おう、というのも動機の一つでした。
この夏はお絵かき教室にも通わせています。
これは何年か前に兄猿が描いた彼のベストフレンド像
……そうです、いよいよ本題です。

例えばそろばん教室。
そろばんの必要性を感じたのは、小2を修了したちび猿が、まだ指を折りながら簡単な計算をしている姿を目撃してからです。
ふと、不安になって、「かけ算は知っているよね?」と聞くと、「まだ」という。「フランスで、少しやったから少しだけ分かるけれど」
……そうです、フランスの小1のときに、すでに取りかかっていた九九を、インターでは一年経ってもまだらしいのです。

インターでの算数は、オンラインのプログラムを使ってゲーム感覚で教えたり、ワークシートを使ったり、図形ブロックを使ったり、ときにはグループワークで問題に取り組ませるなど、楽しみながら、算数のコンセプトを習得させているようです。
この「楽しみながら」と「コンセプト重視」と言う点は、とてもいいな、と思います。コンセプトをしっかり理解しているからこそ、創造的な発想が生まれると思うし、大切なことだと思います。

でも!でも、です。
計算、暗算能力っていうのも、それなりに大切ではないの??
脳のストレッチ体操にもなるし。
そして、計算能力って、あれは数こなさないと身につかないものでは?

そこでそろばんです。自分もやったことがないくせに、子猿たちをお教室に放り込んでみました。
いやぁ、素晴らしいです、そろばん。
機械的に計算するだけ、と思ってましたが、概念的でもあるのですね。
あと、珠算何級、というシステムもいいですね。
一つの達成目標になりますものね。

また、そろばん教室では、先生がこまめに注意をして下さります。
「数字の書き方違うよ。はい、もう一度書こう」
「消しゴム、ちゃんと消えてない、もう一度消そう」
「椅子ちゃんと引いて」
「姿勢直そう」
「ゼロの書き方違うね、こう書くの」
……家で私が同様に注意したのなら子猿たちブチ切れでしょうが、教室というコンテキストの中では素直に忠告に従います。

ここら辺の細かいこと、インターナショナルスクールではそんなに言われていないのだと思うのです。少なくとも、直さなくちゃいけない!と子供がプレッシャーに感じるような指導はされていない。その結果、この一年で、子猿たちの字・数字は恐ろしく汚くなりました。誤字もそんなに直っていないし。

学校の方針として、細かいことをチクチク言ってると、子供たちのやる気を削ぐから、今のフェーズでは余り注意しないという方針とのことなのですが、いい加減、「いつまでも放っておいたら悪癖がつくのでは」と気になっていたところ。それを先生からこのように正していただいて、感謝の限りです。
インターでは図工も緩く、写実的なことはしていないよう。
そこで兄猿が考案した「あるもので工作シリーズ」の一つ、
「紙を丸めてセロテープで固める」という彫刻法で作った
「ゴールデン・サッカーボール、メッセージ付き」
大体、インターナショナルスクールは子供に甘すぎると思う。
ポシティブなのは良いけれど、ケジメというか、もう少し厳しくしてもいいところも厳しくしない。「まぁいいじゃないの」っていう……。例えば、音楽鑑賞や月例集会のときなどの無駄口や悪ふざけ、パリの学校だったら即「退場!」レベルですが、それでも先生たちはあまり注意はしないし……。

高校生の先輩たちを見ると、みんなこれでリッパに成長しているようだし、いいのかもしれないけれど、でも何か腑に落ちない。
こんなにゆるーく育てられて大丈夫なのぉ?と老婆心でやきもきするときもある、母猿なのでした。

さて、本州は台風接近中とのこと。猛暑、大雨と色々ですが、どうぞご自愛くださいませ。




2015年7月6日月曜日

地上の楽園、イリオモテ

飛行機の窓からみた富士山
こうしてみるt、まさにThe Blue planet
地球、愛しいですね
既に夏休みに入って久しい子猿たち。
今年はフランスに帰らず、どっぷりと日本しよう、ということで、毎日、自転車に乗ってそろばん教室やらお絵かき教室などに通わせています。
もちろん、子猿たちからは「こんなの、夏休みじゃない!」とブーイングがありましたが、そのたびに、「もうすぐ沖縄に行くからいいでしょ!」と釣ってました。

そのうち、兄猿は、沖縄に行くのが楽しみになってきたようで、「ぼく、沖縄がどんなところか頭の中でイメージしているんだ」と。
自分の知っている浜辺、日本の風景などを組み合わせて映像化しているのでしょうか。
期待に応えられるといいな、と少し不安に思いながら、行ってきました。

目的地は西表島。石垣島まで飛んで、そこからフェリーで45分ほど行ったところです。
もう、そこは期待以上に美しい島でした。
肉眼でも水面から青い魚やちびネモが泳いでいるのが見えるし、
ちょっと顔付けると、青や淡いピンクの珊瑚礁は見えるし、
もうちょっと本格的なシュノーケリングで泳げば、そこは竜宮城か、という美しさ。

これは、空港にあった水槽像。
でも水中はまさにこんな感じでした。
素晴らしいのは海だけではなく、

マングローブの中、カヌーで進むとそこはジャングル。
大きな蝶々が、私たちの前をふわふわと飛びながら消えていく。
こんな自然が日本にあるとは思いもしませんでした。
なんだろ、これ。
ジャングル、あまりに壮大で写真に収まりませんでした!
川下り、蚊を予期していたけれど、意外といないので
それもよかったです。
思えば、結婚するまで、日本国内を旅したことはほとんどなく、日本がこんなに多様な自然や文化があるとは知らずに東京、その他の大都市≒日本、と思っていたようです。
旅をすればするほど、Discover ジャパンです。素晴らしい国土、文化だわ。大切にしなくちゃ。

ということでイリオモテ、
兄猿、「ぼくのイメージよりも、もっと良かった」そう。
夫もあまりにダイナミックな自然に、久々に仕事のことを考えずにのんびりできたよう。
私もです。自然も素晴らしかったけれど、宿もよかったし、人もよかった。皆さん、物静かだけど、親切で……お世話になりました。ありがとうございました。

チビ猿? ご覧のとおり。
ピチピチの魚がごとく跳ね泳いでました!
週末にひんやりする横浜に戻ってきて、ひたすら降る雨を見つめながら、
「まるで、夢みてみたい。本当にイリオモテに行ったの?」
と言う兄猿に同感。
帰ってきて、即、洗濯して、ご飯作ってと、何事もなかったように、日常に戻っちゃって。
タイムスリップしたかのような、不思議な感覚です。


さて、子猿よ、今日からまたそろばん、がんばろうね。あと、夏休みの間に、せめてカタカナ、スラスラ書けるようにしようね(レベル低いでしょ?)。

子猿と一緒に動く夏休みも、余すところあと何年。そう思って、大切に過ごそうと思います。
母猿、また一週間、頑張ります。