2012年5月14日月曜日

子育てのポイント


この週末は、日本にいる両親のことを考えていました。
父が体調をこわしたことを聞いたから?
それとも、久しぶりに母の声を電話越しに聞いたからでしょうか。

うちは五人家族。両親(結婚記念日おめでとう)と兄は日本に、姉(お誕生日おめでとう)はアメリカに、私はフランスに住んでいて、帰省するのも隔年、と距離的にも密接な家族関係ではありませんし、私は早くに家を出たので、大人になってからの家族との想い出は数えても片手で足りるほど。

それでも、何かあると、母の手の肌ざわり、父の手の平の厚さを覚えている。最近まで、ほんとにつらいとき、得てして肉体的な痛みがあるときは心の中で母を呼んでいたと思う。
兄姉との楽しかった思い出も昨日のことのように思い出せます。

反抗期、災難、考え方の違いなど色々あったけど、今大人になると、親には感謝の気持ちしか残っていません。

一方の夫。彼も5人家族で、関係は密接といえば密接。母はしょっちゅう電話かけてくるし、歩いて15分の距離に家族らは住んでるし。でも、夫は彼らとは精神的な距離を感じている。

彼が子供の頃、義理の両親は仕事をしていたので面倒みるのはヌヌさん。ご両親が帰ってきても、「疲れているから静かに!」していなくてはならなかったそう。バカンスは子供はおばあちゃんに預けられ、両親はどこかに出かけるか、それか、お友達家族と一緒に別荘で過ごす、というパターンが多かったらしいです。お友達家族と一緒って楽しくていいけれど、確かに子供に対する密着度は薄くなりますよね。(それがプラスの面もありますが)
そして9歳から高校卒業するまで寄宿舎に入れられたのです。

そう、夫は「入れられた」という認識が強い。妹達は、いやだ!と拒否したので自宅通学したけど、夫は自分に拒否権などない、と思っていたようです。

今、大人になって義理の両親は一所懸命息子と交流を図ろうとしています。でも、夫としては複雑、負担でもあるよう。義理の両親にしても、もう年齢的に柔軟性がないので、息子を理解するのも大変そう。いつも会話はギクシャクです。特に義母は、距離感がわからず突っ込んでくるから、そばで聞いているだけでも夫を傷つけはしないか、義母を立腹させないか、とハラハラします。義理の妹らとも同じような感じです。もう同じフランス人、階層、世代なのに何、このカルチャーギャップは?って感じ。共有しているものが殆どない。

結論として思うのは、子育てのポイントは子供が子供の時ではないでしょうか(当たり前過ぎる?)
子供のときに如何に密接に、一緒に、「幸せ~♪」を感じる瞬間を沢山作るか。
あとで穴埋めしようとしても難しいと思う。
子供が子供なのは子供の間だけで、大人になったらもう子供じゃない、と思ったほうが無難だと思うのです、って、早口言葉みたいでわからないですね。
もう一度トライします。
子供と親の密接な距離で付き合えるのは子供が小さいうちだけ、大人になったら、親であろうと、それなりの距離感を持ってして接しなくてはいけない。
だからこそ、子供が小さいうちは沢山一緒に過ごす。専業主婦になれ、ということではないです。時間は量ではなくクォリティー。べたべたくっつき回れということではなく、必要なときにそばにいてあげる、話しを聞いてあげる、そうできないのならその事情を、自分の話をする、一緒に何かをする。

加えて思うのはスキンシップの大切さ。
私は子供の頃太っていたので、しょっちゅうぬいぐるみ代わりに揉まれ、抱きかかえられ、(踏みつけられて)いました。そのお陰で、家族の手の感触、匂いなど覚えている。こういう記憶って多分、文章化された言葉の思い出、映像としての思い出よりも長く覚えていられそうじゃないですか。

ということで、昨日は子猿達の誕生会の招待状作りをイニシエートしました。私が作り始めたけど、そのいい加減さに、子猿と夫は「そうじゃない、ちぎらないで!はさみ使って!あぁ、真っ直ぐじゃない」などと大騒ぎ。で、結局彼らにさせるという、母猿の戦略に見事に引っかかってくれたわけです。

子猿が一所懸命友達の名前を書いたり、シールを貼ったりしている姿に、私は自分の子供の頃を思い出し、夫はこんな喜びがあったなんて知らなかったけれど、子供と一緒にこのワクワク感を共有して、幸せ~♪、といいたいところですが、振り回され(父猿)後始末・掃除(母猿)で疲れましたとさ。

皆様、どうぞ良い一週間をお過ごしください~♪