2011年9月27日火曜日

大江健三郎と若かりし日の私

先日の友人との会話のトピックは大江健三郎でした。

丁度、日本で原発反対デモを主導し、6万人も参加した、というニュースの後だったこともありますが、私、今この作家に興味津々なのです。(そうそう、この原発デモ、NHKの7時のニュースでは報道されなかったそうです。怖いですね、日本の報道規制。気持が悪いです)

発端は、氏が書いた沖縄集団自決について軍の(=国)の指導があった、というのにた対して旧軍の人が控訴していたらしいのですが、今年3月に、最高裁で勝 訴した、というニュースでした。ちょうど沖縄について書かれた山崎豊子の「運命の人」を読んだところで沖縄問題をもっと知りたいと思っていた頃でもありま した。

山崎豊子は80代後半、大江氏は70代後半です。この二方が、共に沖縄にこだわるということは、戦後の日米関係のわだかまりの焦点なのでしょうね。

Anyway、大江健三郎氏。
友人は、「もうおじいちゃんでしょう。生きている間に、講演とか、行きたいわ。」私も「本当ですね~。」

・・・この会話に、何か引っかかるものがありました。

そして、氏の著書を何冊か読んでいて、引っかかりのわけがわかりました!
なんと大江氏、私が在学中に母校にて講義をされていたのです。それも「信仰を持たないものの祈り」という、とても興味あるトピックについて。

あ~あ、悔しい!
何がって、アッパラパーの大学生のだったことがですよ。何にも考えていなくて、横柄に、傲慢に若さに胡坐掻いて座っていた自分。こんな出会いのチャンスを見逃していたなんて!
悔しいから、この講義が元と成っている本を読むことにします。

「信仰を持たないものの祈り」って、実は一番純度が高いような、そんな気がしませんか?地震の後、うっすらとそんなことを思っていました。

♪夢にも寄り添う 愛しい人の面影もう一度逢えたら 在るがままの姿で涙の川 溢る思い♪ 
桑田ケイスケ「明日へのマーチ」より

今涙の川にたたずんでいる方々が笑顔を取り戻す日が早く来ますように、願わずにはいられない、この頃の日本ですね。