2011年6月28日火曜日

記憶の波

昨日は、何ヶ月に一回訪れる、「無性に楽器が弾きたくなる」日でした。

ちょうどピアノの蓋が開けっ放しになっていたので、適当にピックアップした楽譜「ブルグミュラー」(わかりますか、私のレベル)を何曲か弾いてみる。音 楽って面白いですね、「あ、このメロディ覚えてる」「あったあった、こんな曲」ってずっと忘れていた子供の頃の記憶が戻ってきます。指は面白いように動き ます。脳より指が覚えている。あんなにサボってばかりいたピアノなのに。(安藤先生、お元気でしょうか~。ピアノのレッスンよりも貴女の美しい横顔ばかり 覚えてます。)

中でも、アラベスクを引いたとき。
ピアノやってた方なら覚えてらっしゃるでしょうか、アラベスク。右手がラシドシラ、ラシドレミッ、っていうあれです。左手の和音がラドミで、ジャ、ジャ、 ジャ、ジャ、ってやるのが、時折、ラレファになったりする。そのパターンを繰り返すのですが、あるとき、ラレミになるところがあるんです。そこで引っか かった。
そのとき、「あぁ、子供の頃も、この不協和音がすごく嫌いだった、で、いつもここで詰まっていた!」って鮮明に思い出したのです。ひいてはその音符の配列 まで目に浮かぶように思い出しました。ラレミのレとミがぶつかるからずれてくっついているんですよね、それが子供心に「美しくない」って思ったことなど も。
この衝撃。
思い出が、記憶が大波となって心臓を覆ってくような息苦しさです。

近年時々、こういうのがあります。これが歳をとるってことなのでしょうか。むせ返しそうになるほど、ノスタルジックになってしまう。だとしたら、年取るのって悪くないな、と思います。単なる記憶も愛しくなってくる。

そんな今日のオマケは「遠い街角」By 桑田さん

音楽っていいないいな。

2011年6月22日水曜日

可愛い子には旅させよ

昨日は、Jubiさんの次女カミユちゃんがアメリカからパリにホームスティしに来たのを迎えに、空港まで行ってきました。
シャルル・ド・ゴール空港、フランスではロワシーと呼ばれる、久しぶりです。

パリ市内からロワシーに向かうには、車、タクシー、バス、リムジンバス、郊外電車など、手段はいろいろ。昨日は電車が一部ストだったので、路はラッシュアワーの首都高並みの渋滞です。スト部分を避けながらちょっと遠回りして電車で迎えに行きました。乗車駅はGare du Nord、北駅です。

「北駅」って、漢字で書くと何だかノスタルジックではありませんか?「あぁ、旅!」って。
(実際にはパリでも有数のガラの悪いエリアなんですよ~。来るときはスリに気をつけてくださいね。)
ここに来るのも久しぶり。ロンドンにいた頃、パリにいる現夫に会いにユーロスター、何回乗ったことか。その発着がこの北駅でした。

空港に向かう電車を待つ間、無数にあるホームから遠距離電車が行ったり来たり。それを見ていたら旅に出たくなりました。
また、パリ市内では見ない様な電車達に、子猿達がいたら狂喜するだろうな、とも思ったり。

そこでふと。
男の子があんなに乗り物狂いなのって、実は、旅立ちDNAがあるのかなって。生まれたときから、いつか旅に出るんだ、って知っている。乗り物を見ると、その旅情が駆り立てられる・・・・。

こじつけでしょうか。

13才で単身フランスに行きたい、と思って実現したカミユちゃんのように、冒険心、自立心豊かなティーンに育って欲しい。世界を泳いで欲しい。感動と発見の人生を送って欲しい。
頑張れ子供達!!

2011年6月20日月曜日

大人の顔

40過ぎた最近、もう若く見られなくていい、それより歳相応に見られたい、と思うようになりました。
歳相応とは、「アラフォーおばさん」ではなく、「大人の女」ということ。

日本人って、海外では若く見られ勝ちです。一方で、いつまでも精々30代にしか見えない、若いわぁ、と思っていた人が、ある日、ある瞬間に「おばちゃん、 おばあちゃん」に見えるときがあるのも残酷な事実(←私です)。若い、幼い顔が大人を飛び越して、おばちゃんになっちゃう、色気もない、女でもない、中性 的は存在になってしまう。

こんなことを思ったのも、先日見たマダム・フィガロの、アラフィー+女優さんたちの写真のせいです。何かの特集で、ジョディ・フォスターが格好良く、シャーロット・ランプリングがめちゃくちゃ貫禄+色気あり、多分もう七十以上のジェーン・フォンダが健康で輝いているポートレートでした。元々同じ土俵にいませんが、完敗です。

苦労も幸せも、失敗も成功も、不安も自信も、欲望も知性をも瞳の奥に潜めている。
「この人のこと、もっと知りたい」と思わせるような大人の女の顔ではありませんか。

そうなるには、必死に勇敢に毎日を生きることのような気がします。疑いながらも前に進む。そういうことでしょうか。

お化粧も、隠すためのものではなく、健康でいるためのものでいいじゃないか。多少日焼けしてしまっても、しみが出来てもいいじゃないか。(いつかまとめてレーザーで取れば良いし!)ファッションも、自分ガ好きで、自分を体現している格好をする。時代遅れでもいい。

・・・なんて、こう書いていると、完全におばさんの開き直りにしか聞こえませんね。
色気より食い気だし、華麗なるマダムというよりは、家政婦さん状態だし。あぁ、道は遠し。
でも姿勢正して頑張ろうかと思います。

皆さん、良い一週間を!

2011年6月19日日曜日

パリの私立校、公立校

6月の中旬となると、パリでは学期末の発表会が目白押しとなります。9月開始の6月末終わりが一年のサイクルで、こちらでは終業式の代わりにKermesseと呼ばれる、学芸会と文化祭の混ざったようなお祭りが催されるのです。

今日土曜日のパリはミニ台風と台風一過が一日の何回も繰り返すような疲れる天気でした。

Kermesse10時開始。
まず1時間半ほど発表会で、雨がぱらつく校庭につくった即席ステージで子供たちは踊り、親は半分くらいは席を見つけ、残りは立ったまま観覧する。去年と同じです。
毎回何が情けないかといえば、親同士の喧嘩。前方の親が身勝手に立てば、後方の親が「見えないぞ」と怒鳴る。「うちの子なの」と微笑み返す強烈マダムもい るし、「煩い」と怒鳴り返す人もいる。笑えたのは、「ズームがついてるだろっ」、「使い方わかんないのよっ!」というの。

この幼稚園は小学校と併設された公立です。割かし品の良いエリアと呼ばれているこの地区ですが、当園はかなりメルティング・ポット。白人は1/3~1/4位でしょうか、貧富の差も色々と見受けます。

校舎は東京の小さめの公立校とあまり変わらないこざっぱりした鉄筋ビル。幼稚園は一クラス25人くらい。8時半から16時半なで預かる割には習うことが少 ない気がしないでもないけれど、でも事故もなく、先生にも当たり、子猿達も嫌がることなく登園したので、私と夫は十分満足しています。
この発表会のあと、PTA持ち寄りの食べ物のビュッフェがあったのですが、あまりの人手と喧騒に諦めて、その足で、近くの私立校のKermesseを訪れました。

9月から、子猿達はこの私立校に入学するのです。兄猿が小学校に入るので、教育面で評判高いこの学校を試すことにした次第です。フランスの私立校の多く は、政府から補助金を貰っているので、英米に比べると控えめな授業料。大体一年当たり1000ユーロ前後でしょうか。なので、日本のように、私立=ハイ ソ、リッチという感はない。お受験などはなく、セレクションもない。高校などは、公立の方が学力高い、これがフランス私立校事情と聞いていました。


それでも、この私立の校舎は昔のロシア貴族の館だったとかで、もう庶民の私から見るとお城ですよ。その扉からモーツァルトがヤギのようなヘアスタイルにタ イツ姿で出てきても可笑しくない、そんな雰囲気なのです。今回初めて校舎を隈なく観たのですが、圧巻です。公立校とは雲泥の差。


また、以前見学に来たときは、公立校と似たような人種・装いじゃん、何て思ってましたが、今日改めて見ると、白人ばかりで小奇麗。午前中の親同士の喧騒と 比べると、何ともハイソな感じです。こちらのブッフェもPTAがオーガナイズしたようですが、違う!公立校は、ただ机並べて、チップス(私提供)、何かス プレッドを塗っただけのサンドイッチ、コーラ。アトラクションもたらいに水張って、ゴムの鴨を釣る程度でしたが、こちらはBBQありの、アトラクションも Bouncing Castle(ビニール製の巨大な滑り台)ありので、金かかってます。

やはり、公立と私立、何かが違うような気がしてきました。
BOBO(ボヘミアン・ブルジョワ、左寄りの因習を笑うタイプの階層)とブルジョワ(上流階級意識を持つ階層)が個人レベルで話するとあまり思想に変わり はないのに、団体としてみると違うものとして存在しているのと同様に、公立組と私立組ではまとめて比較すると「何か」が違う。
あぁ、9月からのPTA、大変でないといいな、子猿達にとって良い環境であるといいな。

そんな今夜、我が家のおかずは餃子でした。

子猿達は餃子を作るのを観るのが好きで、今日も、台所で三人並んでの作成。兄猿は餃子の皮を私に渡す役、ちび猿は、私が作ったのをお皿に乗せる役。自分も子供の頃、餃子のお手伝いしたのを思い出します。計60個は作りました。
食卓では、「餃子のときはご飯いらない。沢山食べたいから。」「美味しいね。また作ろうね」と言いながら、二人とも父親より沢山食べる。

こんな素朴で庶民的な生活とあのパレスのような学校がだぶらないんだけど、こうやって、彼らなりの「ミックス」を作って育つのでしょうか。

私の知らない文化圏に突入する彼ら、どんどんママを置いてけぼりにして頑張ってね。

2011年6月17日金曜日

ドラマ

今週は、二冊ほど凄い人間ドラマ本を読みました。

一冊目は、ノンフィクション本、「私が誘拐犯になるまで」
オーストラリアで現地の人と国際結婚した若い日本人女性が、結婚の破綻、そして泥沼の離婚訴訟、親権問題、ハーグ条約について、異常な元夫の執着 etc.,を激情走った文体で書き綴った手記です。人気ブログが本として出版された、ということで、決して文学的ではなく、また、好きな本でもない。読な くてもよい本ではなかったのだと思う。
でも読んでしまった。そして、読んだその夜はアドレナリンが沈まず、眠れませんでした。とにかく凄いドラマです。

唯でさえ、訴訟マニアの狂人と結婚して、子供を作ってしまった悲劇が、海外における国際結婚という複雑味が加わって、悲惨なのです。最終的にはタイトルどおり、この方、豪州においては誘拐犯としてWantedらしいです。
それでもへこたれない強さがアッパレ。離婚に悩んでいたり、配偶者からのモラルハラスメント、DVなどで動けないでいる人などは、これを読んだら、私もできるかしら、って勇気がでるかも。

「ハーグ条約」、日本に住む方には馴染みがない言葉かもしれません。
これは海外在住邦人には、「いざとなったら子連れで日本に逃げ帰る」式駆け込み離婚に関する条約、と認識されている国際協定です。今までは日本がこれに加 盟していなかったので、この駆け込み離婚も何とかなる、と見られていましたが、このところ、日本が当条約に加盟するという方向で準備が進んでいるので、こ れからは駆け込み離婚したら日本でも誘拐犯扱いされるのかもしれません。。筆者はこの条約が、大人の親としての権利を守るためのもので、子供の幸せ、人権 を考えていないところがある、という意見のようです。豪州の親権についても同様の意見。
私の周りには外国人パパ、日本人ママによる日仏家族が多く、「『ある日帰ると、家が空っぽ、置き手紙でお別れ』っていうのは辞めてくれよな」、なんて引き つった顔で笑っているお父さんがいたりします。大概、奥さんは、クールな顔で旦那を見つめているだけ。大和撫子、ポーカーフェイスの微笑みがちょっと恐 かったりします。

もう一冊は、思いっきりフィクション。最近凝っている向田邦子の「阿修羅のごとく」でTVドラマのシナリオ本です。
これが滅茶苦茶面白かった。唯々素晴らしいです。上の本とは全く違い、どちらかといえば、こちらTVドラマの方が現実話より穏やかで、本当、事実は小説より奇なり。国際もハーグも狂人も出てこないし、普通のどっかの街中の、そこら辺のオジサン・オバサンの話です。
でもドラマ性だったら負けていない、そう思わされる筆力、構成の素晴らしさ。

中年の4人姉妹、一見、平和で平凡にそれぞれの生活を送っているのが、少しずつ、静かに、話が進み、この平凡というものがいかに危うい均衡状態なのかが露呈されていくのです。日々の機微、喜怒哀楽、愛情の描写に泣いたり笑ったりしながら一気に読んでしまいました。
細雪と似たタイプの話だけど、完全に非なるものに出来上がっている。向田邦子の個性・才能がぎゅっと詰まっていて、読んで良かった!こんなもの書ける人が居たんだ!ってじわじわ感動が湧いてくる。
このTVドラマ、子供の時に見た覚えがあります。もちろん、この複雑な大人のドラマは理解してなかったけど、薄っすら覚えている。暗いのに可笑しい独特な雰囲気や、いしだあゆみのめがね姿、八千草薫の可愛らしさ、緒方拳もいたっけな、とか。
振り返れば、才能豊かで味のある役者さんが沢山いた時代だったのですね、昭和って。

フィクション、ノンフィクション、この世にはドラマが一杯で、不幸もあれば幸福もあり。人の不幸はちょっと楽しかったり、幸福は妬ましかったり、と人間の気持は複雑です。
そんな幸不幸が混じりあう人の世って、面白い。もっと街に出よう、もっと色々な人に出逢ってドラマに入ろう、と思わされた本達との出会いでした。

皆さん良い週末を!

2011年6月13日月曜日

鬼のいない間に・・・

夫がひさしぶりに出張に出ました。これから何日か、思いっきり手が抜ける、と思うとちょっと嬉しかったりもする、なんて、彼がいても抜きまくっているけれど。

夫は出張が大嫌いで、出かけるまでもう大変です。大体、出張が近づいてくると、日々落ち込みが募り、体調も崩すという徹底振り。今回は腰をやられてました。悪いんだけど、ヘッピリ腰で、涙こぼさんばかりになって荷造りしている姿にはくすっと吹き出しそうになりました。

出かけるときも、タクシーに乗り込むまで家族全員に見送って欲しいようで、私はもう察知してそのうもりでしたが、誕生日に貰ったばかりのおもちゃで遊びたい子猿達は、「あ、行くの、バイバイ」と玄関にすら来ない。
「ほら、下まで送りに行くよ」と追い立てると「なんで?」
・・・。
そんなに冷たくするとパパ泣いちゃうからよ、って手を引いてエレベータに乗せて、タクシーに乗り込むときなどは、夫、目ウルウルです。あさってには帰ってくるのに、大げさでしょ。

さて、夫がいない間は、食事は手を抜いて、私は好きなようにしよう!ってウキウキだったのですが、実際には、何故かいつも以上にまじめになってしまいました。
まず、食事。結局いつも手を抜いているんですよね。いつもと同じようなメニューになりました。夫はサラダ好きなので、いない間くらいはサラダ無しで、と思っていたけど、冷蔵庫には食べないとダメになりそうなレタスがあるから、と食べ、子猿らは残り物のおかずが好きじゃないというから、シャケを焼き、ご飯を炊き。
ワイン飲むぞう、ビールも開けるぞう、って張り切ったけど、一人で飲んでもそう進むものでもなく、多分、酔っ払ってしまって、夜何かあったときに子供達を背負っていくのは自分一人、と思うと自然にセーブがかかっちゃうのでしょうね。
せめて、好きなDVD、ビデオでも見よう、と思ったら機械の調子が悪い。こういうとき、夫がいないと困るんです、私。

ということで、昨日はいつも以上に品行方正になってしまった母猿。子供のときもそうだったかも、なんて思い出しました。友達と集まって、今日は騒ぐぞう、なんて張り切っていたのに、何故だかいつも以上に可愛い遊びをして、暗くなる前に誰もいない家に帰っていたような気がします。

今日こそ、ご飯はマックで、と思っていますが、どうなることやら。
皆さん、良い一週間を!

2011年6月11日土曜日

誕生日会


昨日は兄猿の六歳の誕生日パーティをしました。
欧米では、沢山の子供達を招いた誕生バーティが主流で、道化師やマジシャンを雇ったり、どこか、レストラン(マック含む)やアトリエを借りてすることも多々です。
でも、内弁慶な兄猿、友達が少ない。そして大勢は苦手。大勢いると、大抵弟猿と一緒にどっかの角っこで地味に遊んでいるタイプです。
昨日は、それでも3人来てくれました。
も う一人学校の友達を招いていたのですが、昨日の登園の際、その子が来れない旨知らされました。その時の兄猿の顔。ショックで一瞬顔が固まったけど、まだ何 がショックなのか分からない、って感じ。乾いた笑顔を浮かべながら、「ママ、バイバイ」とボーっとしながらいつものように園庭に向う。気の毒になって、 「(欠席の子には)今度遊びに来てもらおうね」と言ったけど、もう聞こえていなかったですね、あれは。
少しして、園庭をみると、兄猿、本物の猿みたいに袖で顔をごしごし擦っている。ははぁ、悲しみが時差で襲ってきたか。ま、大丈夫でしょ、と思って帰りましたが、案の定、お迎えの時には目先のパーティーとプレゼントで頭が一杯、超ハイでした。


私 も海外育ちだったので、誕生日パーティはしてもらってました。写真を観ると大勢いて華やかなのもあるのですが、私そこら辺、頭弱くって、あまり覚 えていない。姉のパーティの方が覚えていたりする。自分のときには舞い上がっているから記憶機能が上手く作動してなかったのでしょうね。結婚式も詳細を覚 えていないし。残念です。

そんな中、一つ覚えているパーティがあります。多分8歳か9歳のときの誕生日パーティ。パーティーというよりは、「お誕生日会」と呼んだ方がふさわしいですね。
あ の頃は、まだ日本に帰国して日も浅く、友達なんていませんでした。当時は帰国子女なんて珍しいし、太っちょで不細工だった私は軽くいじめられていました。歩道橋から富士山が小さく見え、あぁ学校が近づいてきたな、と思うと同時にお腹が痛くなったものです。
今ほど残酷なものではなかったですよ。本当に、いつからああ言ういじめをするようになったのでしょう。いじめは「魂の殺人」と、或る方が呼んでいました が、真にそうだと思います。 

・・・と脱線しかけましたね。
とにかく、友達がいなかったのです。それでも誕生日会をすることになり、いじめられているところを助けてくれた子やこの子達にはいじめられたことがない、という消去法的な「友達」を計3人、招きました。
運悪く、当日は雨。
待ち合わせの場所の神社で、傘をさしながら、「誰も来なかったらどうしよう、いつまで待とうか」と不安な気持で待っていたのを覚えています。
それが、3人とも時間通りに来てくれた!天にも昇る気分で、皆を家に案内し、台所のテーブルで母の作ってくれたケーキを食べて、そのあと多分、トランプかゲームをして、お仕舞い。
これがもう最高に嬉しかったし、楽しかったのです。
ケー キがすごく美味しくって、普段兄弟とするといじけて終わってしまうゲームも、ゲラゲラ笑って、勝敗なんて覚えてもいない。招待客3人もとても楽しそうでし た。(あとで訊くと、「行ったっけ?」「覚えてない」「覚えている、あんたのこと、外国人だと思っていたから、そんな家に行くんだって楽しみにしていたけ ど、結構普通だったね」なんて冷たかったけど。)

そのうちの一人とは未だに連絡を取り合っています。いつか、機会があれば、彼女とそんな子供時代の思い出話をしたいなぁ。

記憶が耳から流れ出ている今日この頃。ボケ防止には何が効くのでしょう。
以下はその他の料理です。

(手まり寿司、黒いのはマグロのしょうゆ漬けだから)

 (冷凍食品屋Picardのブリオッシュ・クリームサンド・ケーキ、
メチャ美味です。上のろうそくが立っているのが全形です)

(兄猿が好むのはこういうシンプルなバターケーキ)
皆さん、良い週末を!

2011年6月8日水曜日

乱読日記


乱読の日々。
というのも、最近は新刊を貸していただく機会が多くて、「もったいない」おばさんとしては、「ははぁ、有難くお借りします」といっては、家事放棄して読み込んでいるのです。
伊坂幸太郎、東野圭吾、その他ごめんなさい、名前を忘れてしまったベストセラー作家殿々。もう編み始めてしまったマフラー状態で、止まれずに読ま される。その手腕は素晴らしいのですが、正直言って、後味悪いのです。何故かと言うと、あとに何も残らないから。アガサ・クリスティーほど、エンタメ度も 高くないし、なんか、人生の無駄使いしちゃったかな、って感じです。

そんな中、この人、イイ!会ってみたかった!と思ったのは向田邦子です。明るい、からっとしている、鋭い、そんな人柄も好きだし、戦後からの昭和 が舞台の庶民の話、とても懐かしく愛着を感じます。でも残念ながら、出版されているのは、殆どがエッセー。私はフィクションが好きなんですよね~。「あ・ うん」のような小説をもっともっと書いて欲しかったです。

なんだろ、夢、希望、せつなさ、などがぎゅっと詰まった小説、そして巧いの、ないでしょうか。
お勧めあったら是非お知らせください。

2011年6月6日月曜日

恵みの雨

何日ぶりでしょうか、パリに雨が降っています。しとしと、しとしと、気持が落ち着く。
前回のエントリーでかなり愚痴りましたので、心あらため、ポジティブなことを書こうと思います。

この連休、まもなく6歳の兄猿が自転車に乗れるようになりました。実はカタール時代に既に克服していたのですが、パリに戻って以来、気軽に自転車、という 環境でなかったので、バランス感覚を忘れていたのでした。私が子供の頃の東京は、ちびガキ達が自転車に乗り回しているのが前提に車も走っていたように思う のですが、パリは違うようで。こんなところでパリは大人前提の街ということを再確認です。
で、自転車。
公園でしばし特訓の甲斐あり、いよいよ一人立ちです。
ふわーぁっと走り出したときの、兄猿の驚いたような笑顔、周りの大人らの爽やかな微笑み。その両方にちょっと感動しました。おじさん達の笑顔は、「ガンバレヨ、少年!」と言っているように聞こえる。
少年、未来に向かって漕ぎ出す。ほんと、ガンバレヨ!

そして連休最終日の昨日は、パリの真髄、マレ地区に出かけ、INSEAD時代の友人の妹さんと初対面。友人自身は昨夏終わりに昇天されました。お姉さんの 面影ある妹さんにお会いして、またお姉さまの生前の写真を沢山持ってきてくださったのを観ていると、何だかとても懐かしい気持になりました。そして、世界 各地にて、友達・家族に囲まれ得意そうに、楽しそうに笑っている彼女を観ていると、良かったね、幸せな時が沢山の人生だったんだね、と嬉しくなり。
晶子さん、本当にありがとうネ。

別れたあとはセーヌ川を走るバトー・バス(船バス)に乗って、うちの方まで帰りました。子猿達の大興奮ぶりに、少々高い船賃も元取った気になります。ありがと、そんなに喜んでくれて。
子育て、今が一番貰うものが多い時期なように感じます。この先は、勉強だなんだって、先のJubiさんの主婦連のように報われないことが多そう。

雨、もうおしまいでしょうか。遠くに見える新・凱旋門の辺り、雲が晴れているようです。
どうぞ良い一週間をお過ごしください。

2011年6月5日日曜日

パリ4連休まもなく終了!

日曜日午後二時半、まもなくパリでは4連休が終わります。

よく寝て充電したようでもあり、家事・炊事・育児に追われた4日間でもありましたぁ。

私は事情あって、子供の頃から、昭和の代表のような家のことは何もしない父と汚すのが仕事のような兄の始末をさせられてきました。
そのせいか、特にきれい好きでもありませんが、汚されるとスッゴイむかつくんです!!だから、連休、休日、家にいるのが好きなのですが、一方で、結構キリキリきちゃう。皆さんはそんなこと、ありませんか?

愚痴ついでに、続けると、私は夫のマイペースもイライラする。
例えば、子猿が横断歩道を渡るとき、スクーターや自転車を引きながら、のろのろと歩きます。そこに、右折、左折する車が入ってくると、私はついつい、「ほ ら、早く」なんていいながら、スクーターなり自転車なりを取り上げて、手を引こうとする。子猿は自分で自分の乗り物を持ちたい、って一瞬ぐずるのですが、 そんなこと言っているときじゃないでしょ、ってどやしながら渡らせる。この裏側には、「危なっかしい(過保護)」「人の迷惑にならないように、人様と同じ リズムで動きなさい」という、どちらかというと日本人的な思考があるのですが、夫は、たとえ人をいらいらさせても自分のペースに行くべきだ、という言う 人。子猿達に対しても「ほっとけ」って。
どっちもどっちだと思うのですが、普段は対子猿は私が天下なのに、この4日は夫とコーヘッドで疲れましたわ。

明日は通常営業の月曜日、今から一人時間が楽しみでしょうがない母猿です。

2011年6月1日水曜日

感動です

ツィッターを観ていたら、んなニュースが・

このイヴリー・ギトリス氏は、4月にパリで行われたマルタ・アルゲリッチのココロコンサート、震災チャリティーコンサートでも演奏されたヴァイオリン奏者。88歳ですよ、あのコンサートでも殆ど立たずに演奏するくらいご年配の方が、石巻市に行って演奏されたなんて、感動せずにはいられません。
ヴァイオリンの音色に被災者の方々の心が慰められたでしょうか。そうあってほしいです。

それでなくても、今日のパリは神々しいまでに美しい朝を迎えています。
子猿らを幼稚園に送り込み(普通水曜日は休みなのですが、飛び石連休を完全なる4連休にすべく、振り替えで今日は幼稚園ありになりました。公立の学校なのに、ですよ。パリっていい街でしょ)、そのままウォーキングに行って、Ipodで桑田さんの新しいアルバム、Music Manを聴く私。セーヌ川に架かる橋の上で、「月夜の聖者たち」という、素晴らしいタイミングに、一人大いに酔いしれていたら、知人にばったり。 ちょっと恥ずかしかったです。

イブリー・ギトリスの石巻での演奏、動画サイトにアップされたらお知らせしますね。イブリーさん、本当にありがとう。