2011年4月29日金曜日

震災孤児についておもったこと


先ほど、週末の買出しに近くのスーパーに行ったら皆同じ考えだったのか、やけに混んでいて疲れた!ってことを書こうと思ったのではないです。そこで2、3組の、お母さん白人、子供アジア/アフリカ系の母子を見かけて、最近思ったことを思い出したのです。

今回の震災孤児の数字は思いのほか少なくって、現在3県合わせて150人弱らしい。どうしてかと考えれば、幼い子など、親御さんと一緒に亡くなってしまった命が多いのかもしれない・・・。
ど こかで読んだ記事では、国は当初、震災孤児を集めて施設を作る、という、恐ろしいほどずれている提案をしていたよう。それに対して、里親の専門家などは、 心のケアが大切なので、施設で一括、というはよくない。できれば親族などが、地元で育てるのが良い、と言ってその方向で世話をしていると。
私は、これがどうも納得いかないのです。

地 元に近いところで、という根拠は、親をなくし、故郷をなくす二重の喪失を防ぐため、らしいのですが、思春期後半のしっかりと意思ある子供が「私はこの地の 復興を見届けたい!」とか言うのなら別だけど、【ここまで破壊されてしまった故郷に孤児となった子供達を引き止めることのメリット】と【新地でのチャンス -(マイナス)リスク要因】は同等もしくは後者の値の方が大きいのではないでしょうか。新地での再出発、最初はちょっとショックかも知れないけれど、子供の順応性は大人の想像を上回るものだし。
転勤家族、世界遊民状態で育ってきた私としては、故郷は大人になって想うもの、離れてしまって想うもの。どこにいても心は故郷に繋がっている。孤児達も、これも転機として、もっと違う世界に羽ばたいて育っても良いことのような気がします。

そしてオバサンは言いたい!
若人よ、君達にとっての世界は広くって、可能性も無限大なんだよ、その地に残らなくてもいいんだよ。それに違う形で被災地となった生まれの地を救うことができるかもしれないよ、って言いたい。今は辛くても踏ん張れ!って、そして心の準備ができたら踏み出せ!って。

欧 米では里親制度・養子制度が日本より進んでいて、この点は素晴らしいと思います。先ほどのスーパーでのように、人種の違う親子なんてザラ。もちろん、不幸 なケースもあるのでしょうが、幸せそうな子供・親の笑顔を見るたびに、里親・養子制度はもっと浸透させるべきだと確信します。誰もが(短大入れると60% 近く)大学に行く現代日本において、孤児院で育つ子の大学進学率は一ケタ台、高校中退率も10%近いとか。折角日本という先進国に生れ落ちたのに、そのメ リットを享受できないで育つ子の境遇を思うと胸が痛みます。
養子縁組の手続きは絶望的に困難と聞いています。不幸なケースを防ぐがため、身動き取れなくなっているのでしょうか。国に(期待できないけど)期待するしかないのでしょうか。

今 回の震災で国内でも200件以上も里親になりたいと申し出があったり、海外からも問い合わせがあるそうです。現状の遺児たちは、多くの場合祖父母などに引 き取られているようですが、失礼承知で言うと、祖父母はあくまで祖父母ですから、そうでなくて、里「親」という、新しい保護者を得て、親からの愛情も受け ながら育ってもらいたいな。

勘違い・データ間違いもあるかもしれませんが、素人のつぶやきとして読み流してください。

2011年4月26日火曜日

春休みのフォトログ


春休み終了しました。今朝は久々の静けさに脳みそが深呼吸しています。
それなりに小さなドラマがあったけど、エネルギー充電できました。春の力、自然の力、時間の優しさを切に感じたこのバカンス、写真でもワークするでしょうか、「エネルギーの発電」。そうでありますように。


上の写真、霞みかかったように見えますが、アップにすると、実は新緑の中にこんなに可愛らしい小花が散らばっているのです。

鶏ものんびり虫を探し。すごい食い意地なんです、この子達。


子猿達は牛をながめ、


母猿は木陰で一休み、

暇なので、花でも愛でようかな。

遅咲きのりんごの花のほのかなピンクの色っぽいこと。


名前、忘れちゃったけど、とても良い香りを放つ此の花。「白い花は香りが強いのよ」と昔お花の先生に教わったことなのに、まるで私が発見したことのように子猿らに伝え、


子猿からは虫つきのタンポポを突き出され、「いらない」というと、「ママのためにつんだの。だから取れ!」と力強い愛の告白を受け。


日曜日の復活祭には教会のミサに。
・・・スーちゃんも旅立つ前に、「復活します」と残したとか。この春亡くなられた方々、亡くなった友人らが天上で安らかなる第二章を過ごされていますように。復活ってそういう風に理解していいのでしょうか?

何かとメソメソしたこの春。まぁこれからも時折そうしてしまうと思いますが、少しずつ元気が出てきたようで、泣き癖にさよならしようと思います。メソメソっとしそうなときは、どうやったら皆と元気に過ごせるか、ということを考えるぞ~。これが私の小さな復活。


ミサのあとは、「ウサギが隠した」チョコ卵探し。真剣です。


食い意地なら負けない、鶏も探します。


大収穫!



このほかにも、祖父母からも超高級チョコ玉をもらったのですが、そちらは親猿達がちょろまかしました。もうすぐパリ上陸予定のショコラティエ、Maison Larnicol、さくさく食べちゃって、危険です。



そのあと、午後には雷雨が・・・。田舎の天候は変わりやすいです。
雨上がりのアイリス。憂い顔の美女?何故か80年代のいしだあゆみを連想します。キャンディーズもそうだけど、あの頃の芸能人は魅力的な人が多かった。いいときにテレビっ子時代を過ごせたと思います。


そ・し・て! 雨上がりといえばカタツムリ。たっくさんいましたよ。

見たくないかもしれませんが、載せます。4,5キロは集めました。
子猿達は大喜びで「きのこ狩りみたいだね」
・・・でも動いてるよ、それは。
義母「あーた、都会育ちのへなちょこ呼ばわりされたくないなら、それ位しなさい!」
私「Oui, ma mere...」
それを近所のマダムのところに配達して、おしまい。そのあとどうするか知りたい?
まず、一週間ほど絶食させるそうです。身体を完全にデトックスさせる。
そのあと月桂樹、パセリなどの香草だけをたらふく食べさせ、それをにんにくとバターたっぶり塗って、オーブンに入れる。
あぁ、無情!

皆様、どのような春をお迎えですか?どうぞ健やかにお過ごしください。

2011年4月22日金曜日

田舎なう!

イースター休暇二週目、フランスはパリ西部にあるサルト地方に来ています。

パリを出てしばらくすると、菜の花畑が続きます。「こんなにあったっけ?」と地元ィーの夫が驚くほど。植物油のほかになにに使われるのだろう。走行中の車窓より撮りました。



そうそう、出発前日に行った、パリの植物園で撮った紅白のサツキも載せます。大きくするとボケてますね。
ちょっと金平糖とか、星屑って言葉を連想しませんか?



菜の花の絨毯パッチワークを抜けると一面緑、緑、緑!


Bourgeuil畑も新緑が始まってました。



青々と茂る草むらの美しさに、踏ん張れ、とか、食いしばれ、とか、そんなメッセージを受け取り。
なんというのでしょう、ばーん!と背中を叩かれたような感じです。

そんな昨日、ネットサーフしていたら、キャンディーズのスーちゃんが亡くなったとの訃報を発見しました。
キャンディーズの解散コンサートはテレビで観てたくちです。三人の若いお姉さん達が涙流して手を振っていた。さらさらの涙、プチョプチョのほっぺを濡らしていて・・・。一緒になってブラウン管(死語になるんですね、これも!)の前で大泣きしたのが昨日のことのよう。
そ のあと、パリでは広島の頃に繰り返し放映される「黒い雨」を観て、キャンディーズの頃、こんな天職が見つかるなんて、本人も思ってもいなかったのではない か、と思ったほどりっぱな女優さんになっていて驚いたことがあります。映画での儚いイメージと重なってしまって、とても悲しいです。

折りしも今日は、聖金曜日。被災して亡くなった方、若くして亡くなってしまった友人ら、そしてスーちゃんのご冥福を祈りつつ、緑を愛でて過ごそうと思います。

2011年4月15日金曜日

春休み

フランスの学校、この前冬休みだったと思ったらもう春休みです。

今回は地震の影響もあるのでしょうか、内職もないので、思いっきり子猿らに付き合って、花粉舞い散る公園に出かけています。
毎日違う公園に行くことに、兄猿は、「そんなに無駄使いしちゃうの?」と嬉々としています。これを正しく翻訳すると、「毎日違う公園に行くなんて、そんな贅沢いいの?」と言うことだと思います。
出不精、ケチ、同じルーティーンを繰り返す毎日だと、こんな些細なことで喜んでもらえる。しめしめ。

こういう体力勝負の日々を送っていると、語ることもなく・・・。
まぁ徒然なる写真を観て下さい。

これらは、Jardin des plantesという、パリ中西部、ソルボンヌ/カルティエラタンからそう遠くない場所にある植物園+動物園で撮りました。広々としていて素晴らしくきれい。
パリは、都会の雑踏の中にも所々にこんなスペースがある。憎たらしいほどリッチなフランスを感じます。














2011年4月12日火曜日

人間は拝み好き?

内田樹のブログで面白いことが書いてありました。
「人間が人間であるための神について」と いうエントリー。人間は拝むのが好きな特性があるから、街づくりをするときなどには、宗教的建造物を取り込むべきだ、と。それをしていない近代の街には変 な新興宗教に走ったりする傾向がある、と。けっして、「神をおろそかにするから天罰が下る」という論理でいっているのではなく、タイトルにもある「人間が 人間であるため」に信仰が必要なのではないか、という話と理解しました。

私は神がいる世界観というのに温かみを感じる派です。イエス様がいる世界に救いを感じるし、いてくれることが嬉しい。
がんと戦った友人は、西洋医学では説明しきれない生命の神秘を信じる、といって、まぁ結局亡くなってしまったのですが、でもその信仰にはやはり救われたのではないか。
見えないものを信じる、論理的にはありえないことを信じる、疑いながらも信じてしまう、こういうところに人間の奥行きの深さを感じるし、愛情も感じてしまう。

特に都会には、サンクチュアリー的場所が少ないから、宗教的建造物あるといいかもしれませんね。皆さんはどう思われますか?

2011年4月10日日曜日

染み入る音楽

昨夜は、信じられないような素晴らしいコンサートに行きました。
世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチの声かけで実現した震災復興チャリティーコンサートINパリ。収益全額義援金として贈られます。

音 楽音痴の私ですが、彼女のCDで聴いたラフマニノフがあまりに感情的で、そしてそのスピーディーなテンポがまたはやる心って感じで「確かに素晴らしいピア ニストなんだろう」と、いつかライブで聴いてみたいと思ってはいました。でも彼女がすさまじくビッグな人と知って以来、そんなの夢ね、とあっさり諦めてい ました。

それが、昨日パリ左岸のとっても小さな音楽ホールで実現したのです。
他の出演者達も著名な方ばかり。広島からいらした光井安子さんの短くも的確なスピーチにもあったように、今回の震災で、日本って世界から愛されているんだな、って知ることができたことに心慰められた方も多いのではないでしょうか。マルタさんは、震災に対してこんなメッセージを載せてらっしゃいますが、昨夜のコンサートでは一言も話さず、全ては演奏で表現する、そのスタイルもカッコいいと思いました。一方のギトリス氏はおじいさんらしく色々つぶやいていて場を和ませていましたが、時折真面目なことも・・。「この震災は、第三次世界大戦のようなもの。日本だけじゃない、世界が悲しんでいる」という言葉に、本当自然と放射能との大戦だなって。

演奏は・・・、素晴らしいの一言。
ど のピースも素晴らしかった。能との和製オペラ「松風」も良かったし、89歳のギトリス氏のバイオリンもなんとなんとスムースで優しい音を奏でることか。マ ルタとの共演でピアノの横で立って弾く姿が、もうバイオリンと身体が一体化した楽器のようでした。そしてピアノ。連弾の曲目が沢山あって、その4つの手の すさまじい動き方に、感動、感動、感動。あんなに早く、正確に動くなんて、どんなに努力ししてらっしゃるのだろう、こんな音楽を書いた人も凄いし、弾く人 も凄い。とにかく人間の無限大にも感じる可能性に、あぁ、私も頑張らなくちゃ、って思いました。
日本人の音楽家達も素晴らしかったこと。皆さんBravo!そしてありがとう!

コンサートは4時間近く。ライブハウスのような小さな空間で、演奏者も観客も一体となって、日本のことを想う、悲しむ、弔う、祈る、希望を探している、そんなチャリティーイベント。
被災者の方達に聴かせてあげたかった。ごめんなさいね、遠くで見ているだけの私達が慰められてしまって。
このコンサートは録音されて、配信による収益も義援金となるとのことです。4月15日より、Ituneなどでダウンロードできると。「Kokoro Martha Algerich Paris」でサーチすれば出てくると思います。

2011年4月7日木曜日

小さいおうち

またとても面白い本を読みました。中島京子の「小さいおうち」、昨年度の直木賞受賞作品です。

戦前の古き良き東京を生きた女中さんの手記と言う形をとったフィクションです。今最後のページを読み終わったところですが、感無量。カズオ・イシグロの「Remain of the days」の日本版といったらイメージ付くかしら。

とかく今の地震後を戦後と重ねてしまうのは、本当の戦争を知らない平和ボケ世代のせいかもしれませんが、ここでもやはり重ねてしまって、時折、涙々。

その他、女中のタキさんのゆるがない良識が、一昔前の日本の心って感じで、いつ日本はこんなにゆがんでしまったのだろう、と懐かしくなったり、悲しくなったり。

私 の場合は、こんなに美しい情景ではありませんでしたが、カタールで三年間お世話になった住み込みのスーパーナニー、ネルダを思い出してしまったのも懐かし いやら、つらいやら。カタールでの別れの日や、パリに帰ってからも夢で彼女がいる生活をみて、朝起きたときの、あの喪失感、いやだったなぁ・・・。
そして、「女中がいない家庭に幸せはない」といったようなくだりがありますが、確かに。
カタールでの夫は、日中戦場で戦って夜帰ってくる人、って感じだったので、ネルダがいてくれた生活は、私一人じゃない、タンデム組んで家庭を守っている、といったような連帯感があって、幸せでした。
元気かしら、ネルダ。子猿達はこんなに大きくなってますよ~。

何 よりも切ないのが、十代から八十才くらいなのでしょうか、若き日に山形から上京したときから亡くなるまでの長い時間を、まるでタキさんと一緒に時を過ごし たような気持ちにさせる作家の力・才能はすごい!でも一方で、もう巻き戻しきかないという時の本質をまざまざと見せ付けられもし、なんだか、孤独に歳とっ てしまうことを経験しちゃったよ、どうしよ、ってな気持ちにもなり。

でも、幸い実際には2時間くらいしか時は経っておらず、私もまだまだやるべきこと、できることがある。
「よし、やろう!死ぬとき、悔いないぞう~」とむんずと立ち上がる、立ち上がってみせる、そんな底力を出す気になる本でもあります。

良い本に出会う喜び!あぁ、ありがとう神様!!心底そう思いました。

2011年4月6日水曜日

爽快なる朝 (本編)

あぁ、イライラを書いてすっきりしました。では本題に。
風邪は昨夜で終わりました。今はスポーツあとの爽快感です。

そしてバザーの集計も出ました。詳しくはサイトをご覧ください。こちらのサイトでは、被災者へのメッセージが動画で見られるようです。このサイトの構築といい、いやはや、関係各位の皆さんの才能・能力に感服です。

義援金、総計420万円相当(35,777ユーロ)だそうです。そうです、これは皆さんが私に託してくださった、素敵な服や、お菓子、おもちゃ、かばん、折鶴など等が義援金として生まれ変わったのが含まれています。
あらためて、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
人を信頼するって、このご時世難しいことなのに、今回の震災では、お会いしたこともない方から、「これが役に立つのならバザーに出してください」と沢山の物品を送って戴いて、その信頼にこたえなくちゃ、といつも以上の力を戴いたように思います。

開 催と同時に2時間待ちだった今回のバザー、特にお子様連れの方々はギブアップせざる負えなかったと聞いています。折角の善意を受け止められなくて申し訳な いです。次は何かお子様連れ向けのチャリティー・花見でもどうでしょう。ベークセール、お寿司セール、弁当セール、プラス、お子様用に紙芝居・マリオネッ トとかして、この売り上げは義援金とか。

まだまだ続く復興への長い道、微力でもしないよりまし、この精神でいきたいと思います。

爽快なる朝 (プレリュード)

日曜日のバザーで火事場のバカをやっていたら案の定風邪を引きました。

そもそもの感染元としては夫への疑惑大。タイトルとは裏腹に愚痴っていいですか。

ま ず、日曜、バザーでへとへとで夜帰ってきたら、家がすごい状態になっている。ワタクシ、あまりの怒りにコート着たまま靴下を拾い、食べかけのパンを拾い、 食洗器をアンロードしました。昔、ANAの先輩が、「新婚生活どうですか?」という質問に、「昨日ワシントン(超ロング路線、時差からも一番疲れるフライ ト)から帰ってきたら、部屋がぐちょぐちょ。ありえない汚れ方。頭白くなって制服のまま、流しに立って洗い物始めたら夫がビビッてた。」と言うのを大笑い して聞いたものですが、今は笑えない。「お帰り~、どうだったバザー?」と聞く夫に、「子供達、お風呂入ったの?」と返す私。恐いですね~。

そ して、風邪でダウン。「大丈夫かい、心配なんだ」と優しい気持ちを持っているのはわかるんだけど、家事能力がゼロなので、役に立たない!!例えば、食洗器 回したよっていうから中見ると皿が3枚、コップが三つ。エコって言葉知らないのかい。しまいには「僕も調子悪いかも。薬どこか知ってる?」

みなさ~ん、フランスの男性は優しいとよく言われますが、一方でフランス人といえばエゴイスト。この両面がどう絡んでいるか、考えてから恋に落ちましょう。

あまりに爽快な話でないので、一旦きります。

2011年4月4日月曜日

ZEN!!

なんだなんだ!これはどこだ?!

なんと、パリの拙宅の洋間ですよ~。畳も座布団も友人のみほさんが持ってきてくださり、我が家のまな板から、箱の蓋なども総動員して作り上げました、にわか茶室。中々ではありませんか?

侘びすけならぬ、セーヌ川沿いの花屋さんでみつけられたという、カメリア・ジャポニカも先生の手にかかれば、しっとりした趣の茶花です。

先生ご持参のお軸も掛けられて


お濃茶用の干菓子の美しさに、涙が滲んだのは、東北地震が起きてから日が浅かったせいでしょうか。このときはまだ被害の規模もわかっていませんでした。刻々と伝わってくる事の悲惨さに息苦しかった頃です。
(干菓子 京都北野 老松、お抹茶 大阪 石本川口軒)

薄茶用の生菓子の愛らしい丸さ!そして美味しかったこと!こういうときは和菓子のシンプルな甘みが身体に、心に染み入ることを知りました。中は黄身餡。
(主菓子 西王母  高輪 玉川屋惣八)


うちのうなぎの寝床みたいに狭いキッチンが水屋となり。「撮らないで、こういうところ」といわれましたが、先生の太陽のような笑顔、載せずにはいられません。


厳かにお茶を点てて下さったのは、中澤宗寿先生。 日本から文化交流のために来仏されました。一週間の短い滞在中に、日本が大変なことになり、在仏邦人は大慌てしていました。そんな中、「ニュースを見ない 時間を作ろう」と皆さんTV画面から身をはがすようにして、即席茶席に集まり、しばしZENの世界に同席しました。お茶を立てている間は、先生のご友人の佐藤真由さんがバス・フルートで幻想的な演奏をしてくださり、静寂なる音楽に、心の糸が少し緩められ・・・。真由さん、本当に有難うございました!
そして中澤先生、今一度御礼を申し上げます。大変なご準備をしていただきまして有難うございました。


「こういう状況の中、静かなひと時の中で、静かな気持ちで日本を想うことができてよかった」
とは、この茶席に出席した友人、みおこさんの一言。


まさに、私の今朝の心境です。


昨日のパリ・オペラ座でのバザーは大・大・大盛況でした。詳しくは色々な集計が出たらまたこちらでも報告します。微力ながらも参画させていただいて、そして皆様よりご協力いただいて、感謝の気持ちで一杯です。

そんな昨日でしたので、今朝は、嵐の後の脱力感というか。

今日は、静かな気持ちで、被災者の方が、日本の皆様が一日も早く元気になられることを祈りながら過ごしたいと思います。

2011年4月1日金曜日

涙そうそう

最近は涙を自制することができず困っています。
昨日は涙もろい友人と会い、ついつい、震災のことや、その他の話をしていて、空を仰ぐようにしていると、「みきさんも私に負けない涙もろさだね」と。ばれたか。

歳 のせいにしてきたけど、思い起こせば、20過ぎの一人暮らしの頃から始まったのだと思う。家族でも、周りに人がいるときは、気も散るし、なるべく泣きっ面 をさらさないようにしていたのが、一人暮らしだと、辺り気にせず泣けるから、それはもう朝刊読みながら泣いたりしていました。

でもこうい う恥ずかしい癖があってよかったな、と思う今日この頃。だってそうでもしければどう処理していいかわからない感情の量だったりしませんか。例によって気分 転換にエンタメ・ニュースを見ると、遠山の金さん、杉良太郎が、トラックなど12台で現地入りして炊き出しやら、寄付やらしているとか、色々な美 談が満載です。またまた涙そうそう。

悲しい涙、感動の涙、花粉症の涙、しばらくはお岩さんのような顔をさらしていることでしょう。
4月3日は、パリ、オペラ座近くでチャリティー・バザーが開かれます。お近くにいらっしゃる方、是非お立ち寄りください。
お岩さん顔で一人四谷怪談やっている人を見かけたら、それが私です。お声かけくださいね。